140文字の美学ー日本語のつぶやきとEnglish tweets



先日、Loftworkの林さんが書かれた「森美術館が写真撮影を許可したことについての考察」という記事がすばらしいとRetweetしたところ、それを2万人以上のfollowersがいる@nobiさんがさらにRetweetしたことで、僕が確認できるだけでもその後26人の人が連鎖的にどんどんRetweetしていった。RTがどんどん連なっていく様を眺めているだけでもおお、すごいなあと感心したが、それ以上に驚いたのがRTする際に、皆がとても律儀に誰のRTからRTしたのかわかるように@XXXというのがどんどん連なっていったこと。

私は、日頃、個人のtwitterアカウントを主に誰へのtweetかで日本語、もしくは英語でつぶやいており、業務上は、日常的にNYABのアカウントを英語でつぶやき、まれにTABの日本語、英語のアカウントをつぶやいている。そしてどのアカウントでも読むほうは、日本語、英語ごちゃまぜである。総体的には以前はほとんど英語でつぶやいていたが、最近になって日本語でのつぶやきも増えてきたという感じか。そこで上記の連鎖で驚いたのは、英語のtweetsを読んでいると、あのように@XXXというのが続いているのを見たことがなかったから。

考えてみれば、全く単純で、作法の問題というよりは、140文字という縛りが英語と日本語で全然体感が違うだけなのだ。僕は翻訳の仕事をたまにするのだが、ざっくりいうと同じ内容のことを書くのに、もちろん文体にもよるが、日本語1文字に対して、英語2文字弱くらい必要になる。

体感としては、英語でつぶやく時には、140文字なんてすぐに過ぎちゃって、新聞の見出しよろしく、どの部分を切るかパズルを解いてつぶやくことになる。だからもちろん、僕がRTするときにはできるだけ多くの@XXXを入れたいが、通常は一番元のつぶやき主の@しか入れられないことが多い。逆にその体感のまま、日本語のつぶやきを書くと、いつもあれ?まだ字数あまっているという感じになる。自然にできる限りRTの前の人達の@XXXも入れることができる。また、このへんの体感の違いから、日本語ではどこかへのリンクなしで、つぶやき単体である感情や、告知などを説明することができるのに対し、英語の場合だいたいは、事情を説明しているブログなどの記事へのリンクへの導入としてのつぶやきが多い。

英語のつぶやきでどこを切るかのパズルを解く際に面白いのが、切る部分として、まず「主語」。これって日本語ではデフォルトで省略されているものだ。そして句読点や冠詞、冠詞は日本語では必要ない。こうして考えると日本語はtwitterの字数制限にとってかなり「有利」な言語ということになる。「#twnovel - 短歌以上小説未満」によると日本語でtwnovelという140文字で完結する小説がはじまったそうだが、これは日本語ならではではないだろうか。

英語では、いかに新聞の見出しのようにまとめるか、日本語では、いかにそこで小説を完結させるかというところが140文字の美学かもしれない。

Twitter Power: How to Dominate Your Market One Tweet at a Time
Joel Comm
Wiley
売り上げランキング: 429


The Twitter Book
The Twitter Book
posted with amazlet at 09.07.31
Tim O'Reilly Sarah Milstein
Oreilly & Associates Inc
売り上げランキング: 9581

Comments

Popular posts from this blog

アートマネージメントよりアートアントレプレナーを!

アメリカを代表するミニマリスト桑山忠明氏へのインタビュー