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Showing posts from November, 2008

NYAB/TABがScope Art Fair Miamiに出展

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11月頭のAsian Contemporary Art Fairに引き続いて、12月の頭には Scope Miami にメディアパートナーとしてブースを構えます。22カ国から88のギャラリーが出展するそうで、日本からもARATANIURANO、Gallery Terra Tokyo、hpgrp Gallery Tokyo、Tokyo Gallery + BTAP、Yuka Sasahara Galleryが参加とにぎやかです。もちろん、同時期にはメインのBasel Miami、若手のNADA、Pulse、Aquaや、その他中小のフェア、地元ギャラリーのオープニング、コレクターの企画展など連日連夜イベントがあり、とても楽しみです。 101 TOKYOを一緒に企画したAgatha Waraが地元マイアミのFredric Snitzer Galleryで企画している企画展の" Death by Basel "にはChimPomや、ヤマタカアイなど日本の作家が多数参加しており、これも楽しみ。 マイアミにいらっしゃる方は是非、ScopeのTAB/NYABブースにもお越し下さいませ。原則的には私がいると思います。 Scope Art Fair Miami スケジュール: 2008年11月07日 ~ 2008年11月10日 住所: 2951 NE 1st Avenue, Miami, FL 33127 電話: +1-212-268-1522

Manhattan Magazineに掲載

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手前味噌ですが、一応。 創刊2号目のまだまだ新しい雑誌のManhattan Magazineに アート界のNext Generationという枠組みでNY Art Beatを掲載していただきました。 下記から雑誌がオンラインで見れるようになっていて、150ページ目に少し載っております。 http://media.modernluxury.com/digital.php?e=MANH まわりは、グッゲンハイムやホイットニーの若いキュレーターや、リンカーンセンターの監督、ローワーイーストサイドのギャラリーオーナーだったりとその中に入れてもらえたのはとても光栄です。 今月頭に出展したAsian Contemporary Art Fairでは、丁度この号の発行日と重なったこともあってか、NY Art Beatどっかで見たことあると思ったら、Manhattan Magazineかみたいなことをおっしゃる方も数人いらっしゃいました。 この雑誌のおかげか、ACAFでのプロモーションのおかげか今月はNYABのトラフィックもぐっと増えました。

マディソンスクエアパークに川俣 正とメディアアート

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フラットアイアンビルの横にあるマディソンスクエアパークでは 川俣正の作品 で、木の上に作られた小屋が沢山”展示”されている。鳥小屋にしては大きいし、人は登れないけれど、木の上の小屋というロマンティックな存在そのものがニューヨークのど真ん中の公園にいくつもできていて、それを何気なく見るのはとても気持ちがいい。そう思っていたところに、楽しく拝読している フランスアート界底辺日記 (一瞬タイプするのが憚られるブログ名称ですが、名称なので、、、。)のkanaさんがちょうど、アートフェアーに出ていた川俣正の作品の写真を掲載してくださっていたので、不思議な気持ちになった(悪い意味では全くない)。ちなみに、パリのチュイルリー公園でも川俣正の小屋が展示されているそう。 東京に比べて、ニューヨークには、コミッションで、期間を区切った大掛かりなパブリックアートもとても多い気がする。オラファー・エリアソンの滝、David Byrneの"Playing the Building"など場所としては一回だけのもの、もしくはロッカフェラーセンターの前や、そしてこのマディソンスクエアパークなど場所は一定だが、期間を区切って野外展示をするものなど、多様だ。ビルを建てる際に一緒につくる巨大彫刻作品としてのパブリックアートも多いのだが、そもそもアートの形態が多様化する上で、長持ちする巨大作品だけをパブリックアートとしていく時代でもないだろう。サイトスペシフィックであるだけでなく、タイムスペシフィックであることもとても重要になってきているような気がする。まあ、サイトスペシフィックといったときに、”サイト”には時間軸の概念も入っているとすることもできるかもしれないが、意識の中にはやはりロケーションの意味が強いだろう。ギャラリーや美術館に護られて外からは見えない通常のアート展示や、できたときには華々しいが、奇怪な形をした置物と化してしまいがちな常設の巨大彫刻作品としてのパブリックアートにはない、アートが社会に何らかの働きかけをするという意味での力は格段に強い。アーティストも受け手が全然違って普通の人々であるということをある程度は意識するであろうし。 こういう活動を起こしていくのに必要なものは、「街はモノではなく、運動体であり変わっていくものである」という公的、パブリックな社会的合意形成と、