Thursday, February 16, 2012

アメリカを代表するミニマリスト桑山忠明氏へのインタビュー

1958年にニューヨークに渡って以降、一貫してミニマリスティックな作品作り(ご本人はインタビューでも自分はミニマリストではないとのことだが、タイトルはあえて)で、アメリカを代表する桑山忠明氏が、2月25日までチェルシーのGary Snyderギャラリーにて個展を開催中とのことで、NYABlog用にインタビューさせていただいた。インタビュー自体は日本語でさせていただいたので、せっかくだということもあり、日本語版をこちらで公開させていただく。去年には名古屋市立美術館金沢21世紀美術館で個展で、そして、今年の秋には神奈川県立美術館の葉山館での個展が控えている。

また、インタビューに当たって日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴの富井さん達がなさった桑山氏へのインタビューを参考にさせていただいたので、興味のある方は、是非そちらもあわせて読んでいただきたい。

Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1966) metallic paint on canvas with aluminum strips. 35 x 35 inches. © Tadaaki Kuwayama. Courtesy Gary Snyder Gallery, New York
Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1966) metallic paint on canvas with aluminum strips. 35 x 35 inches. © Tadaaki Kuwayama. Courtesy Gary Snyder Gallery, New York

F:1958年にニューヨークにいらっしゃいましたが、当時のニューヨークのアートシーンはどのようなものでしたか?抽象表現主義ばかりでしたか?

K:そうですね。まだそういう時代で、一般的には抽象表現ばかりでしたが、そろそろ、当時の若いジェネレーションは、そういうものから、抜け出したいという雰囲気でした。そもそも自分にとっては、米国に来る前の日本にはそういう米国のアートに関する情報が全然なかったんですよ。日本のアートマガジンでもそういうのを取り上げてなかった。やっぱり島国でしょ、日本は。で日本独特の美術があるし。まだ日本がそこまでいってなかったですよね。ジャクソン・ポロックぐらいは何かでもう紹介されていましたが、紹介されたといっても、ドリッピングの写真を1点くらい観たかっていう感じ。だから抽象表現主義についてもこちらに来てはじめて知ったんです。だから急に日本が0になっちゃった。それまで日本にいたことが、何か無駄っていうよりもロスみたいな。だから僕は普通の人間に比べると10年遅れているんですよ。アートに対する考え方が。つまりそれだけのロスがあったわけ。

F:ニューヨークに来て最初はどうやってアートシーンを見て行ったのですか?

K:それがね、当時は学生ビザでないと米国に来られなかったのでアート・スチューデント・リーグという学校に籍を置いていました。でも行ってもつまらないでしょ?あんなところ素人というか有閑マダムが行くとこで。先生もみなコンサバな人ばかりで。だからほとんど学校に行かなかった。だからサインだけして、家に戻ってくるっていう。だけど、行ってる間に友達が出来るじゃないですか。だから友達と酒飲んで、遊んでたりっていう。でも学校が57丁目にあって、MOMAに近かったので、そこの展示はよく見ていました。

F:来た時はニューヨークではまだ抽象表現主義が全盛の時期で、抽象表現主義的な、身体全身を使って描くということをされなかったのは何か理由があるんですか?

K:僕はそれが嫌だった。

F:それは皆がやっていることで、同じことはやりたくなかったということですか?

K:というか、僕はそれまで日本画をやっていてオイルを使ったことがなくて、日本画っていうのは粉絵具と水に膠、紙でしょ?抽象表現みたいなのは技法的にできなかったんです。それに僕は日本画っていうのが嫌いだったんですよ。学生時代から耐えられない世界だったわけ。材料がっていうよりも、日本画の組織が嫌だったんです。だから、僕はアメリカに来て自分で作ったっていうか。日本とはずっと関係がなかったんですよ。

Tadaaki Kuwayama 'Untitled: red and blue' (1961) acrylic, pigment with silver leaf on japanese paper mounted on canvas (1 panel) 216.2 x 166.2 cm. Collection of the Nagoya City Art Museum. Exhibition view of “Out of Silence: Tadaaki Kuwayama” 2010, Nagoya City Art Museum. Photo: Sakae Fukuoka.
Tadaaki Kuwayama 'Untitled: red and blue' (1961) acrylic, pigment with silver leaf on japanese paper mounted on canvas (1 panel) 216.2 x 166.2 cm. Collection of the Nagoya City Art Museum. Exhibition view of “Out of Silence: Tadaaki Kuwayama” 2010, Nagoya City Art Museum. Photo: Sakae Fukuoka.


F:61年に、グリーンギャラリーで開催された一番最初の展覧会はカラーフィールドの作品(Untitled:red and blue, 1961、Untitled:red, 1961 Untitled:black, 1961)ですが、そういうミニマルな作品にいたるきっかけは何ですか?

K:そういう作品にしようと思ったというよりも、むしろすることになる環境に置かれたのと、あの、それが僕の精一杯だったわけ。それで最初の展覧会をしたとたんに、自分で、あーしまったと思った。やっぱりまだアートに対して考えが浅いっていうね。だから作家っていうのは展覧会をする度に伸びるでしょ。僕はそう思う、どうしても否定的に自分の作品をみるでしょ。そういうもんですよ。自分の展覧会を見た後、一体自分の中で何がしたかったんだっていう自問自答をしました。

[Left] Tadaaki Kuwayama 'Untitled: red' (1961) acrylic, pigment on canvas (2 panels) 254 x 204.5 cm. Collection of the Takamatsu City Museum of Art. [Right] 'Untitled: black' (1961) acrylic, pigment on canvas (2 panels) 254 x 203.5 cm. Collection of the Kitakyushu Municipal Museum of Art. Exhibition view of “Out of Silence: Tadaaki Kuwayama” 2010, Nagoya City Art Museum. Photo: Sakae Fukuoka.
[Left] Tadaaki Kuwayama 'Untitled: red' (1961) acrylic, pigment on canvas (2 panels) 254 x 204.5 cm. Collection of the Takamatsu City Museum of Art. [Right] 'Untitled: black' (1961) acrylic, pigment on canvas (2 panels) 254 x 203.5 cm. Collection of the Kitakyushu Municipal Museum of Art. Exhibition view of “Out of Silence: Tadaaki Kuwayama” 2010, Nagoya City Art Museum. Photo: Sakae Fukuoka.


F:その時、ミニマリストっていう言葉はなかったですよね?周りの友人の中には、同じようなことをやり始めていた人はいましたか?

K:皆まだそこまでいっていなかった。同じ画廊にジョージ・シーガルやオルデンバーグなんかがいたんだけど、彼らの作品なんかもポップアートというより、まだ「アーティステック」なアートワーク。ジャッドはその頃アーティストではなく、批評家としてグリーンギャラリーに入り浸ってた。彼とはそこで知り合いました。で、後にアーティストとしてそこで展覧会するようになったんです。60年代半ば過ぎだったかな。

F:ジャッドの最初の展覧会はグリーンギャラリーで63年のようです。

K:63年ですか。その頃は、まだよく知られているアルミの作品じゃないですよ。屏風みたいな形状で、赤いカドミウム系の粉みたいなのをべったり塗ったところに弁当箱みたいな四角いのをちょっと置いたり。だから、いわゆる箱、金属の箱みたいなのはずいぶん後。だから、まだ色んな意味で、「アーティステック」なものを引きずっている時代。で、僕の作品もそうなの、あの頃。どっちかっていうと、まだ引きずってるって感じがある。だから、展覧会を一つやって分かったわけ。作品を創ってる時はさ、もう少し、こう、いわゆる「アート」の世界から抜け出す感じのつもりでやっても、まだ引きずってるわけ自分が。そういう環境から出てきてるわけでしょ。僕のアートに関する教育っていうのは、みんな過去のものじゃないですか。未来があったわけじゃないし、だからどうしても過去のものを引きずってるって感じ。当時は日本画の紙をキャンバスの上に貼付けて。だから、材料としては抽象表現的なことはできない、絵具が垂れて流れたり、っていうことになっちゃうわけ。ただ、60年代の自分の作品ってすごい大きいんですよ。あれはアメリカの影響だと思う。当時のバーネット・ニューマンにしろ、ロスコにしろ。そう言う時代なんですよ。ポロックの後のね。すっごい大きい作品なんですよ。観てびっくりしたの。日本では観たことがないから、一面全部真っ赤のものとか。 日本画の材料ってのは。平に塗るとかそういうのに向いてるっていえば向いてるんですよ。

F:その当時、本当にミニマル的な表現っていうと、幾何学抽象をやっている作家達がいたと思いますが、それこそステラとかは同じようなことをやってたんですか?

K:ステラとおんなじですね。だから僕はステラとは今でもよく仲のいい友達みたいな感じ。出が一緒なんですよ。

F:では何となくその時のみんな同世代の作家の問題意識はある程度共有されていたんですか?

K:そうじゃないですか。知らない間に。みんな抽象表現や「アーティスティック」なものからget outしようっていう。そういうのがそろそろ始まった頃だった。だから1回目と2回目の展覧会は違うんですよ。2回目には立体の作品も入って。っていうか立体をフロアに置いていくっていう。木のパネルに紙を貼って真っ黒に色を塗って、それを立ててくっていう。だから、戸板みたいのを。未だに僕が覚えているのは4×8の。4×8っていうのは、4フィートに8フィートのスタンダードなアメリカのサイズの板に細い紙のストリップを貼付けて、それで全体に色を塗って。ただ、テクスチャーもなにもないですよ。ただ真っ黒に色を塗っただけ。62年の時は。

で、60年代半ばは、65年はスプレーペイントを使ったんです。何か平らに、大きなパネルで右と左で色の違うメタリックをつけたりね。塗ったりなんかしないで、日本画の画材をやめてスプレーでやったんですよ。2年目から紙もやめてキャンバスにしてましたし。日本画の材料に限界も感じていたし、オイルでも僕は限界があるんだと思う。どんな材料でも限界はありますよ。だけど、筆で描くっていうよりも、全面をつぶすっていうのはスプレーが向いていました。で、その時の大きな作品が、次の年のグッゲンハイムのシステミックという展覧会に選ばれました。ちなみに、その時はもうクロムを使ってるんですよ。枠と中に。当時一番考えたのは、色ってみんな塗るじゃないですか。すると色々人間によって、今まで言ってた芸術的な、人間の作家がものを創ったいうのあるでしょ?それを否定したかったんですよ。それが最初なんですよ。だから、今まであったあらゆる要素を壊したかった。それと複数同じものを創るとかね。

Tadaaki Kuwayama 'Untitled: brown, blue, gray, purple, beige'(1966) acrylic on canvas with aluminum strips (each 4 panels) 210.8 x 210.8 cm Collection of the Museum of Contemporary Art, Tokyo. Exhibition view of “Out of Silence: Tadaaki Kuwayama” 2010, Nagoya City Art Museum. Photo: Sakae Fukuoka.
Tadaaki Kuwayama 'Untitled: brown, blue, gray, purple, beige'(1966) acrylic on canvas with aluminum strips (each 4 panels) 210.8 x 210.8 cm Collection of the Museum of Contemporary Art, Tokyo. Exhibition view of “Out of Silence: Tadaaki Kuwayama” 2010, Nagoya City Art Museum. Photo: Sakae Fukuoka.

2010年の名古屋市立美術館での自分の回顧展のときに、東京都現代美術館のコレクションの作品(Untitled:brown, blue, gray, purple, beige, 1966)が入っていたんですが、5つの作品で、ひとつひとつ大きいんですけど、十文字に切っているだけで、周りが金属の、で中は筆跡も何もない、つるっとした色面なんですよ。その作品を作った当時はね、アメリカンアートというとグリーンバーグスクールがメインだったわけ。アブストラクションとしては。だからそれとは全然違う。誰でも作れるそういう作品を創ったんですよ、5つ。別に5つじゃなくても、その当時僕が言ったのは、これが10点だろうが20点だろうが、場所があったら創りたいって言うね。で、全部違う色で。色って言うのは、色んな色があるでしょ。色のクオリティってのは、これが良くてこれが良くないって言うことはない。だから、あらゆる色は存在させていいっていうね。だから等価値であるはずだって。だからひどい色も使った。わざと。それでチープアメリカンアパートメントシリーズってことを僕が言って、そういうシリーズの作品って言うのは、アメリカのチープなアパートに行くと、壁にいやらしいようなピンクの色を塗ったり、ペールブルーとか、ベイビーブルー?それからグリーンでも、ひどい色に塗るじゃない?そういういわゆる最悪な感じのするのとアートは同じなんだって。そういうシリーズをやったわけ。同じ形で同じサイズで、色だけ違うっていう。で、あれは誰も認めてくれなかった。

東京都現代美術館がその作品のシリーズを検討していたときに、 キュレーターがこの5つの内で、この色がいいか、あの色がいいかって言いだしたわけ。僕が「そういうつもりで創ったんじゃない。だから5つあるのは、5つセットだと。それじゃないと意味がない。僕のやりたいことっていうのは5つあるから初めて分かるんだって。」そうすると、彼らもその場でね「あ、そうだ!」ってね。だからあれは運良く東京都現代美術館のコレクションに入ったけど。そのとき僕が説明したのは、本当は20点だろうが30点だろうが、これがもっとあったら分かり易いって。5点じゃまだ分かりにくいんじゃないかって。だから、もしその時1点だけだったら、誰が何で作ったのかとか、作家のコンセプトとか誰も分からないと思う。それで後で、どういう順序で掛けるんですかってニューヨークに連絡があったわけ。掛ける時はどの色が最初で最後かって。それで僕が何でも良いんだって、順序はないって。好きなように掛けてくださいって。それで1回1回掛ける時に変わってもかまわないっていう。

たまたまグリーンギャラリーからポップアーティストやそれからミニマルアーティストっていうのが出て、あそこの画廊が次の世代を創ったような感じになったわけです。ディーラーのリチャード・ベラミーも、アーティスト達もみんな同世代で、当時年長でも30ちょっと出たくらいの連中ですよね。ジャッドだって、僕より3つか4つ上かな。そのとき、グリーンギャラリーのオーナーに言われたのは、多分アメリカでは自分はアーティストとして成功できないと思うって。アメリカ人はついて来れないって。多分、日本かヨーロッパどっちかから出てからアメリカ人がやっと分かるようになるってだろうって言われた。というのはね、今からみてみるとミニマルアーティストでも、それから当時のポップアーティストでも、やっぱり「アート」なの、まだ。アートを引きずっているわけ。その伝統的なアートを。それから「アーティステック」っていうの?それからどうしても外れられなかった。じゃないかなと思う。みててそうだもの。僕は自分をミニマルアートなんて思ったことなかったんですよ。事実今でもそう思いますけど。

Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1974) metallic paint on canvas with aluminum strips. 42 x 83 inches. © Tadaaki Kuwayama. Courtesy Gary Snyder Gallery, New York
Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1974) metallic paint on canvas with aluminum strips. 42 x 83 inches. © Tadaaki Kuwayama. Courtesy Gary Snyder Gallery, New York


F:どういうところがミニマルの作家達とは違うと?

K:ミニマルアーティスト達っていうのは、どっちかというとね、もうペインティングはダメって風にね。立体じゃないといけないっていうの?だからだいたいみんな立体なんですよ。僕はそっちの方じゃないなって。だから僕はビジュアルにアートを純粋なものにしたいと思ってましたから。

F:立体じゃなきゃダメって言うのは逆に言うと、タブローの形は絵画を引きずっているということですかね。でも桑山さんは、その形をやりたかった?

K:今考えてみるとその形をやりたかった。その、平らな面だけれども、いわゆる今まであった絵画上の条件ってあるでしょ?そういうものを否定したかった。違う次元のものを創ろうっていう。だから、僕はそのシリーズで創った65年、6年頃のものっていうのは本当に誰にでも作れるものなんですよ。それで、表面がてらてらに光っている作品。当時は表面が光っているというだけで拒否反応を起こした人も多かった。それと、いわゆる当時のペインター達は自分が「作った」ってコトを強調したかったっていうのかな。自分がこれを作ったってとこまで否定されると彼らは困るわけ。

F:当時すでに、立体のミニマルの作家達は自分が創ったっていうのはあまり重要ではなかったのではないですか?

K:うーん、だけどね、彼らは「もの」を作ってたわけ、立体にしろ。それが僕はあの、その点が僕は違ったっていうね。 僕にいわせれば、ひとつの「もの」を作るというのはタブローを描く画家と同じで、結局彫刻家と変わらないと思っていた。

F:桑山さんは「もの」を作っていたのではないと。その当時もし可能であれば別に自分で作る必要はなかったんですか?

K:そうだと思う。それにね、そんなお金もないじゃない?だから例えば、ああいうひとつのシリーズを創る時に今から思えば、本当は無限大に作るべきだったと思う。若い頃は、これは自分のもんだっていうのが一つあれば、もうそれで良いんじゃないかっていう気があった。コンセプチュアルにはこれは無限大なんだという、そのコンセプチュアルな広がりだけでいいと感じていた。今度のね、その感心したっていうか、ダミアン・ハーストが今やってるでしょ?spot painting。あれはもう「アート」じゃない。あそこまでいったらすごいことだと思う、僕は。あれを僕はやりたかったの、60年代に。だから、誰でも出来るような、こういう塗った後のないようなものであって、無限大に出来るっていう。だから、彼はお金があるから、っていうか場所があるからできる。ガゴーシアンっていう場所が。あれを僕は60年代にやりたかったの。そういう作品を創ったわけ。だから嫌う人は嫌ったってわけ、「アート」じゃないって。ダミアン・ハーストの作品観て僕はこういう作家がもっとでてこないといけないって思ったよ。この作品とこの作品どっちがいいって、そんなことないでしょ?同じだよ。丸だろうが四角になろうが、大きくなろうが小さくなろうが。全部同じものなの。だから、価値もないっていうの?そこまでいったっていうのはすごいことだよ。で、彼のやりたいことそれだけが分かるわけ。だからあれは良い作品、良い作品っていうより作家としてすごいと思う、あれをやったっていうのは。でも、あれ嫌だっていう人の方が多いと思う、多分。今まである「アーティステック」な感激がないわけ。

F:でも当時支持してくれるっていう人も結構いたんですよね。桑山さんは特にドイツで評価が高かったと思いますが、ドイツで受けが良かったっていうのは、何か理由があったんですか?

K:ドイツ人ってのはすごく理論的なんですよね、考え方が。どういったら良いかな、ドイツの国自身が戦争でほとんどフラットでしょ?で、一番人間が平和的に復興するのはアートじゃないかなっていう。で、美術館を作って。すごいお金をかけたんですよ。アメリカの当時のポップアートでもミニマルアートにせよ、買ったのはドイツ人だったわけ。ドイツの美術館がほとんどコレクションした。アメリカはとてもついてこられなかった。

F:もうひとつ伺いたかったのは、当時、ミニマリストはみんなアメリカ人ですよね?桑山さんはアメリカでずっとやって、もちろんアメリカの作家としてずっと発表されてきていますけど、日本人であったということはやはり結構ハンデだったんですか?

K:ハンデはありますね。僕いつも思ったのは、当時、名前が違ったら誰もそうは思わなかっただろうって。何とかスミスとかそういう名前だったらね。これは日本の作家だって、でやっぱりオリエンタルの思想じゃないかとか言うよね。それは僕がこの顔をして、この名前では絶対そうだって、ドイツ行ってもそう言われた。日本人、東洋人の思想って言うの?僕はそれをなくしたかったわけ。だから人間として、平等にこの地球上に生まれてるわけでしょ。だからやっぱり生きてるものは感じるものっていうのはあるはずなんだよ。よくあるじゃない、日本人とか、オリエンタルとか、ああいうの我慢出来ないくらい嫌なの。ああいう作品観るの。

F:当時も批評する人達は、桑山さんのことを日本人の作家というレイヤーを通して見ていたんですね?

K:うん。それとね、美術館は当時は外国人の作家なんてのは、購入しないし、掛けなかったんですよ。アメリカ人ってのは自分たちももともとは皆、移民のはずですよね。そのくせ、やっぱり違うと思っている。だからそう言う意味で言えば外国人っていうのが不利な点はありますよね。もちろん、僕自身は人種的差別待遇は感じたことはないですよ。ないんだけれども、言われてみるとそういうこともなくはないんじゃないかと思うこともあります。だから自分では感じたことはない。みんな僕に対して普通に扱ってくれたと思う。

F:名古屋の美術館の学芸員の方が書いた展覧会のエッセイの中で、桑山さんがFlash Artにアーティストステイトメントについて書かれた文章が言及されています。そこで色と形とサイズで作品をある程度定義出来るみたいなことをおっしゃっていたと思うんですけど、もともとそういう風に考えていらっしゃったんですか?(下記桑山さんの文章)

What on artist often gives as a ‘statement’ is no more than the description of the process of how this work is made and on explanation of the materials used. Words about the work become unnecessary. Looking at the work gives a clearer explanation than words.
Let me illustrate how I do it. First, color, shape and size must be clearly determined and this will be the start (to create my work). My main materials are chrome, acrylic paint, canvas, and wooden strips. Generally, my works consist of two or more panels joined with chrome strips between them (so for, os many os twelve poles). Chrome strips of the same thickness frame the pointing. Each ponel is pointed with acrylic point, with a wide nod soft brush or with a spray gun 20-30 times until the surface becomes even with no distorted shade or brush marks. Only when i wish to cover the surface with metallic color a spray gun will be used. Masking topes cover the fringe of each panel, keeping on accurate width at 5 mm-7 mm in the border, depending on the size of the work. This preparatory work enables me to paint the predetermined width of color(s) with utmost accuracy. The masking tapes will be removed after painting.
Upon completion of the painting each panel is varnished with acrylic varnish until such time that the whole surface becomes a really glittering gloss. It will be done 20-30 times repeatedly. I will wait for two weeks to one month until the whole surface dries completely, then the chrome strips will be joined to the panels and bolted firmly. That is the finish of the work. Absolutely no title is given to the work. but always “untitled.” The only thing scribbled on its back will be the year and my name and color combination such os “Green-White-Green“ is also jolted clown. But for my own memo.
(Tadaaki Kuwayama. On My Way. Art Now: New York No.2, 1970, reprinted in Flash Art. June 1973)


K:僕が言いたかったのは、僕がアートはどういうものであるかとか言っても意味がなくて、作家が言えることはどういう風に作るかしかないんじゃないかって。あとは実際に観ないと文章では感じるものではないと言いたかった。だからいかにして、僕がどういう順序で作品を創るかということを書いた。それともうひとつは例えば、絵を描く人っていうのはキャンバス持って来て描きながら途中で描いたり消したりしながら創っていくでしょ。それが絵だと思う。でも、僕はやる前に自分がしたいことを決めないといけないと思っていた。作家が知らないでものを創るっていうのは間違ってる。完全に何がしたいっていうのを知ってから、創るべきだと思っていたわけです。だから当時の作品は途中で手が加えられないものばっかりですよ。やる前に全部分かってないと出来ない。それがしたかった。ペインティングの時代は終わったと思っていた。ペインティング的な要素は一切もっていないもの、違う次元のものを創りたかった。それがアートだと思っている人には絶対に分からんだろうというものを創りたかった。で、未だにそうなの。未だにアートシーンのメイン的なものは、やっぱり彫刻であって絵なの。世の中そんなに変わってない。

Installation view of the exhibition, 'Project for Kawamura Memorial Museum of Art' (1996) metallic paint on Bakelite mounted to plywood. 136 works (composed of 272 jointed panels) 240 x 18 cm each. Courtesy Kawamura Memorial DIC Museum of Art.
Installation view of the exhibition, 'Project for Kawamura Memorial Museum of Art' (1996) metallic paint on Bakelite mounted to plywood. 136 works (composed of 272 jointed panels) 240 x 18 cm each. Courtesy Kawamura Memorial DIC Museum of Art.


F:何かサイズを決める時に、日本とアメリカってサイズが違いますね。センチとかインチとか、畳の単位とか。そういう違いを意識されたことはありますか?

K:日本画っていうのは尺でいったわけ。インチに近いわけで、だからそんなに不自由しないし、センチよりもそっちの方がピンときてたし。今、センチで困るんですよ。アートというのは人間と建物に対するサイズですよね。だからそれだって、そこに縛られないサイズってあるはずなんだよ。無限大にいこうとか。川村の時は、あの部屋全体で136本あったんですよね。(Project for Kawamura Memorial Museum of Art: metallic yellow and metallic pink, 1996)あの作品っていうのは絵とか彫刻の世界じゃなくて、空間の世界ですよね。この作品の長さは8フィートなんですよね。8フィートっていうのは、アメリカの材料からくるサイズです。建築になると11、14とか16とかそういうの決まってるんですよ。スタンダードは4×8っていう。日本は3×6ですよね。紙が3×6で出来てるんですよ、だいたい。8フィートっていうのは人間よりちょっと高いから、どうしても上を見る時にちょっと見上げるっていうね。一番見やすいサイズじゃないですか。下から上まで見るなら。サイズとしては8がスタンダードのサイズじゃないかなと思ってます。あとは色については川村美術館でやった時は、あの、黄色とピンクだったんですよ。僕のセオリーからいったら本当は何色でも良いんですよ。いつもそう思う。色の価値っていうのは同価値であるべきだと思う。全てが、存在としてという意味では。

Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1992/2012) metallic paint on Bakelite mounted to aluminum, 8 elements, each 23 5/8 x 23 5/8 x 2 3/8 inches. © Tadaaki Kuwayama, courtesy Gary Snyder Gallery, New York
Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1992/2012) metallic paint on Bakelite mounted to aluminum, 8 elements, each 23 5/8 x 23 5/8 x 2 3/8 inches. © Tadaaki Kuwayama, courtesy Gary Snyder Gallery, New York


F:キャリアの途中で通常の色から、金属系の反射する色が多くなりましたが?

K:中間色っておかしいけど、その色そのものが主張しない色っていうのがあるでしょ、キャラクターがない色っていうの?僕はメタリックの薄いのがそうじゃないかなって思うんですよ。だけど、別にこだわってるわけじゃないんですよ。色には。

F:そのメタリックの色を使い始めたことで、今やっていらっしゃるアルミとかチタンに移行された。つまり、色として金属系のものを使っているうちに、その素材そのものに移行されたんですか?

K:というよりね、まだ無限大にあるんですよ、世の中に色っていうのは。だから順番にどれをしようがぼくはそんなこと関係ないと思う。でやっぱりそのそれぞれのキャラクターっていうのをもっているの、色っていうのは、あの材料っていうのは。だからこれだけがすごいっていうのはないだろうし。ただ、観た時にね、何かこう、どう言ったら良いかな、自分でそれを勝手に処理出来ないっていう感じを与えたいの。例えば、作品に一つスクラッチがあると、人間っていうのはどうしてもそこに目がいきますよね。その時点ですでにバランスが崩れているんです。今まであった空間を感じない。だからそれは絶対に避けたいんです。観た時にね、背中が寒くなるそう言う感じまでもっていかないと僕はダメだと思う。取っ付きようがないっていうの?ここは「アート」と違う世界だっていうのを感じさせたいっていう。いわゆる僕の言うアートっていうのは、今までのアートじゃなくて、違う次元のものだっていう。でも感じなきゃいけないと思う、それを。感じさせないと。

F:今の展覧会の奥の部屋に透明な作品(Untitled (1996/2012) Colored pencil on Mylar mounted to glass six elements)ありますね。透明な素材は、よく使われるんですか?

K:あれはね、だいぶ前の作品なんですよ。あれも色んなことをガラス屋かなんかに聞いたりなんかして、いっそのことサンドブラストで磨りガラスにして線だけ残すとか、でもそうなると今度はクラフティを感じちゃうんですよね、ああいうものはどうしても。あれが僕の精一杯のところなんですよ。クラフティを感じさせないように、それで色鉛筆の線だけで。

Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (2012) anodized titanium, 8 elements, each 11 3/4 x 23 5/8 x 5/16 inches. © Tadaaki Kuwayama, courtesy Gary Snyder Gallery, New York
Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (2012) anodized titanium, 8 elements, each 11 3/4 x 23 5/8 x 5/16 inches. © Tadaaki Kuwayama, courtesy Gary Snyder Gallery, New York

F:今回初めてチタンを使われた(Untitled (2012) Anodized titanium eight elements, each 11 3/4 x 23 5/8 x 5/16 inches)そうですが、チタンはアルミと比べてどう違いますか?

K:素材が全く違いますね。扱いにくい。ですが、チタンていうのは色がパーマネントなんですよね。っていうのは外に出そうが、太陽にあてようが色が変わらないんです。だけど、アルミは変わるんですよ。太陽光線に弱い。それと、光線に対して、アングル、角度、距離によって色が変わって見えるでしょ?あれは本当は全部ピンクなんですよ。だけど光線よってグリーンに見えたりしますよね。その色を引き出すのが、電気と酸なんですけど。水の中に電流を流して、そこにチタンを入れると色が1秒ごとに変わっていくんですよ。どんどん色が変わっていくわけ。それも徐々に変わっていくんじゃないんですよ。赤いのから急にばーっとブルーになったり。もうめちゃくちゃに変わっていくわけ。で、そのひとつの時間を決めて、タイマーで。どれが良いかっていう。まぁどれでも同じなんですよね、本当は。と、僕その時も思った。アルミっていうのは顔料がいるわけ、色を染めるのに。これアダマイト加工ですよね。中は白いです。で、チタンでもそうですよ。あれ、薄い表面だけなんですよ。ところが、あれは色なんにもいらないんですよ。チタンそのままでの。だから、色が変わったそういう、時間で変わった色なんですよね。だから表面がどんどん、どんどん変わっていくっていうの。

Tadaaki Kuwayama 'Plan for Gallery 11 (Yellow and Orange)' (2011) Collection of 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa. Exhibition view of “Untitled: Tadaaki Kuwayama” 2011, 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa. Photo: Osamu Watanabe</p><p class=

Tadaaki Kuwayama 'Plan for Gallery 11 (Yellow and Orange)' (2011) Collection of 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa. Exhibition view of “Untitled: Tadaaki Kuwayama” 2011, 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa. Photo: Osamu Watanabe
Courtesy: 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa


21世紀美術館でみせた地面に置く丸い作品((Yellow and Orange) 2011 anodized aluminum 23.5 x φ31.5 cm each, 16 pieces)も本当はチタンで作りたかったの。だけど技術的にどうしてもできないって、結局アルミにしたんですよ。加工が大変なんですよ。固くて曲げるのが大変。あれ一枚の板で曲げてるんですよ、アルミの方は。チタンはこの作品の縦のアングルがきつくなるとできない。直角にはもうならない。チタンでつくろうとすると平たい作品になってしまうんです。僕はね、あんまり平たくしたくないわけ。最初は筒を作ったんですよ、ちょっとアングルがあることによって、重量感が出てくるんです。筒型は何かいかにもジオメトリックな形を感じちゃって嫌だったんですよ。ちょっとアングルを付けた時に、何か世の中にない形だと感じたわけ。ほんのちょっとだけアングルがあるっていうね。

F:アルミ、チタン、それ以外の金属は考えられてるんですか?

K:実験的に鉄でやったことがあるんですが、鉄はやっぱり彫刻みたいな感じになっちゃうんですよね。塊っていうのかな。彫刻的な。チタンの方がちょっと感じが違って気に入ってます。普通じゃなっていうの?チタンとアルミは面白いんじゃないかな。8フィートの長い作品もチタンで出来るかと聞いたんですよ。でもこれだけの長さがあったらもう出来ないって。無理だって言うの、色がまんべんなく行くのは。長いと上げるのに時間がかかるでしょ。多分、その間に色が変わっていっちゃうっていうね。最初から色がいろいろあるのはやりたくないし、アングルで色が変わるのがいいなと思う。

F:色、サイズ、形の組み合わせは無限大にありますが、毎回作品を決める時の基準はありますか?

K:その組み合わせを決めるのに実験的には色んなことをしてます。僕の仕事っていうのは図面を描くことなんですよ。自分で制作出来ないですし。それと材料に対する経験ですね。

Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1992/2012) anodized aluminum, 22 elements, each 8 x 8 x 2 1/4 inches. © Tadaaki Kuwayama, courtesy Gary Snyder Gallery, New York
Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1992/2012) anodized aluminum, 22 elements, each 8 x 8 x 2 1/4 inches. © Tadaaki Kuwayama, courtesy Gary Snyder Gallery, New York


F:今回の展覧会で、赤のアルミの22個の作品(Untitled (1992/2012) Anodized aluminum 22 elements, each 8 x 8 x 2 1/4 inches)がありますが。例えばあれが買われた場合、それがどういうところで展示されるかというのはコントロールしたいですか?

K:したいんですよね。だけれどもできないことの方が多い。何年か経った時に、僕はもちろんいなくなる。100年経ったら何にも残ってないですよ、証拠は。そういうものだと思う。だから僕は紙をいっぱい残してるんですよ。どういう風にインストールするかについて。それが僕の仕事だっていうね。で、こういうものって買う人いなかったんですよ。それが、今になって、最近状況が変わってきました。アルミとかベークライトはじめて20年かかってるんです。

F:その見る側の変化っていうのは感じますか?

K:うん、最近、感じますね。

F:やっとみんなが分かってきたっていう様な感覚ですかね?

K:みんながっていうより、玄人はダメなの。いわゆる教育がある美術史専門家とかああいう連中はダメです。例えば、川村美術館での展示は僕がこのシリーズをやった最初なんです。完成するまでどういう風になるか僕だって知らない。色と材料とサイズを指定して工場で全部作らせて。計算して予測はできるけれども、視覚的には確認できないわけ。絶対掛かった時の様子なんか何にも分からなかった。見たこともないから。工場から運んできて、行って、全部掛けた時に、ああこういう風になるのかという。最初のオープニングの日に、専門家ではなくて普通の人がたくさん来て、初めてあの部屋に入った時に、「あっ」ってみんな声がしたの。この部屋は何だろうっていうことになるでしょ。近くに寄って観たいじゃないですか。で、寄るとあれはメタリックですから色が変わっていくわけ。それとピンクとイエローが補色でメタリックっていうと全体がぼぁっとして、不思議な空間に入っちゃうわけ、最初から。そういうものに最初に「あっ」って感動してくれたのは素人ですよ。素直なんですよ。ビジュアルに感動する。アートヒストリー専門の人は、過去の歴史の何にあたるかっていう見方をするじゃないですか?それだとついてこられないわけ。どういう意味があるかとか、何が描いてあるかとか。

F:最後の質問なんですけど、お話の中に過去、現在、未来っていうようなことを話されていますが、一見桑山さんの作品は静止した作品に見えます。時間をどういう風に捉えられていますか?

K:存在感ですよね。続くんじゃないですか?続かせないといけない。例えば、今作って、5年後に観られないようなものを作っても意味がない。それほどのものじゃなかったていう。美的な価値観っていうのは変わるはずですよね?世の中の美しさっていうのは、どんどん変わっていくだろうし。まぁ人工的な美しさもあるし。風景だけが、昔はそうですよね、風景ですよね。それから昔は物語の為の、記録ですよね。肖像画にしろ。だから、そういうものと性格が全然違うんですよ、今は。アートだけで存在させるっていう。そうなると続くものは続く。だから未来を感じないものは創ってもしょうがないっていう。と言うより、現実に考えてみると、人間っていうのは今だけじゃ生きていけない、未来があるから生きていける。みんな明日があるって知ってるから生きていける。アートだってそうだと思う。今だけのものを作ったって意味ないと思う。美しいという言葉がもうおかしいよね。昔は美しいっていう言葉で済んじゃったけど、今は美しいだけじゃないと思う。醜悪なものだって美しさがあるっていう時代でしょ。だから、いわゆる芸術として存在させるっていうの。それだけじゃないかなと思う。他の要素はいらないと思う。昔も今も視覚的に感動するようなモノ、やっぱり今のを観ても未来を感じるっていうの。未来があるから今だっていうのを感じるんじゃないかなって。それが現在に視覚的に芸術として存在する美しさ、美しさっていうより価値観みたいなものだね。

あといつ作ったていうのあるでしょ?僕はサインも年代もいらないんじゃないかなと前から思っているわけ。作品になんで、サイズとか年代、サインがいるのか。あれはコマーシャル的な意味で必要ってだけで。だからいつ作ったかって言われるのが一番困る。掛ける時に条件が違って初めて、ひとつの作品になるんです。例えば92年に作ったある作品を今ここに掛けることで作品になるんです。それから昔の絵の時代があるでしょ?あれだって、今だってできるものだっていうの。そういう作品なんですよ。今でもできるっていう。ただ、それよりも今作っている方が面白いっていうね。次の材料に行くだけで。誰かがもし頼んだら、僕は過去にやったのを今でも作る気があるわけ。今でも出来る、誰でも出来るそういうテクニックなんですよ。

F:最近ガゴーシアンのチェンバレンの展覧会は、以前の全部彼の手で作っていたのとは違って、工場で作らせたっていうことで大きな変化と言われました。彼の場合はキャリアの途中で誰がどのように作るかは問題ではないという意識になったと思うんですが、桑山さんは初めからそうだったんですか?

K:初めからそうだった。それをすることによって「アート」から抜け出すっていうの。次の次元の違う世界に入るっていう。で、一旦その世界に入ると後ろに戻れない。ただ、その感覚はまだ61年の時にはなかった。当時まだ僕は絵ですよ。ただ、アクションペインティングっていうのじゃないことは事実なんです。でも、意識でいうと、今ほどクリアではなかった。過渡期ですよ。やって初めて知っていくっていう。だから思うに、作家っていうのは自分の作品をみせた時に一番感じるんじゃないかなって。皆、自分のために作ってるんじゃないですか?僕は自分の為に創っている。でも観客がいないと成り立たないっていうのもありますよね。

Tadaaki Kuwayama 'Plan For Courtyard (Gold and Silver)' (2011) Exhibition view of “Untitled: Tadaaki Kuwayama” 2011, 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa. Courtesy: 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa
Tadaaki Kuwayama 'Plan For Courtyard (Gold and Silver)' (2011) Exhibition view of “Untitled: Tadaaki Kuwayama” 2011, 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa. Courtesy: 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa


F:ところで、桑山さんは作品を大きくしたいっていう欲求みたいなのはありますか?多くのアーティストは外にでパブリックアートやるといきなり他の作品まで大きくなったりしますが。多分それって自然の欲求なのかなと思うんですが。

K:うーん、どうかな。その環境になってみないと分からないけど、案外、あっ面白いってやるかもわからないよね。また違うものができるっていう。今ひとつ屋外でやってるんですよ。あの、金沢の中庭に展示した作品((Gold and Silver) 2011 anodized aluminum 265 x 20 x 1 cm each, 24 pieces)をニューヨークのコレクターが欲しいということで、ニューヨークに全部持ってきて、エンジニア、建築家を雇って、どういう風に外に建てるかって、やってるんですよ。ああいう中庭みたいのじゃなくて外に。ランドスケープアーキテクトを今雇って。場所を作らないといけないんですよ。地面にコンクリートを入れて。風吹くと外の場合、砂が舞って傷がつくんですよ。そんなこと考えもしなかった。だったら、もうまわりに建物を造ろうかって言ったら、そこまではダメだっていわれて。ガラスの箱を創って。それはダメって。あれはもともとそういうことを考えていたんですよ。ガラスの箱の中に入れるって。

いつも思うのは、美術館で展覧会をするでしょ?そうすると全ては僕の責任なんですよね。でも、いつもこういう材料は使っちゃいけないだの、したいことを完全にさせてもらったことはない。それがすごい腹が立つこと。美術館は特にそうなの。あの、名古屋の時なんて、運賃に金がかかるから米国からもってきちゃいかんって言うの。日本の美術館にあるコレクションでやって欲しいって。完全に自分で本当にしたいことが、どこまで出来るのかっていうの。だから、本当は予算なんて関係なく好きにやってくれっていうなら、いいですよね。次は今年の秋に神奈川の葉山の美術館で個展があるんですが、予算も限られていて、制約は多いですが、したいことがどこまでできるか。

Tadaaki Kuwayama in his studio in Chelsea NY. Photo: Takayuki Fujii
Tadaaki Kuwayama in his studio in Chelsea NY. Photo: Takayuki Fujii


聞き手: 藤高 晃右
文字おこし: 藤井 孝行






Monday, January 16, 2012

知らないアートを見て、理解するまでのプロセス(日本のアートが世界に理解されるプロセス)



昨日は、終日氷点下という極寒の中、友人のTakashi Horisakiさんが参加するSculpture Centerのグループ展のオープニングに行って彼の素晴らしい新作を見たあと、マンハッタンのラーメン屋で晩ご飯を食べていると、となりの若者4人組みがアートについているのを耳にして聞いていると、多分ビジネス系であろうと思われる4人の内の一人の女性が、最近見た抽象絵画の展覧会のことを話したあとに、別の男性が「抽象絵画ってモダンアートのこと?モネとかああいうのだよね?最近友達と話していて合意に達したんだけど、モダンアートって詐欺みたいなもんだと思うんだ。」ていう返しをしているのを聞いて、苦笑しつつも、よく考えてみるとこの会話はアートに関わる人にとってみれば文章自体が語義矛盾で、ちぐはぐだと思うかもしれないけど、ある程度の教育を受けていても普通の人の感覚ってそんな感じなのかなあとなんだが少し考えさせられた。

いわゆる「現代アートはわからない」ということとほぼ同じ思考プロセスだと思うし、また自分のような深くアートに関わっている人にとっても部分的に、自分が知らない、自分が見たことがない作品、作家を見るときに、意識的、無意識的にこれをやりがちだ。これを考えていくと、そもそも逆にある作品、作家をいいと思うこと、わかることってどういうことだろうなあと自分でも日々考えていることにつながる。また、その延長として、どうすれば日本のコンテンポラリーアートは世界に入っていけるのかということにも通じると思う。

自分が世界有数のアートアドバイザーのアラン・シュワルツマンに美術手帖 2012年 01月号でインタビューさせてもらった時に、誌面の都合で、泣く泣くカットせざるを得なかった箇所で、実はアートを見るプロ中のプロの彼が、あまり好きでは無かった村上隆の作品を本当に理解できたと思うにいたるプロセスと、(村上隆と違って)世界に知られていない日本の作家が世界のアートマーケットに入っていく難しさについて真摯に語ってくれた。これは今の日本のアートシーンが海外で受容されるための大きなヒントになるように感じた。誌面ではP104からP109でアートアドバイザーについて基本的なことと、彼の2つの大クライアントについて、そしてそのうちの一つのアメリカのコレクターが具体の白髪一雄などをコレクションし始めていることなどを語ってくれているが、それに続いて、下記掲載できなかった部分。

日本には行かれたことがありますか? 

最初は20年ほど前に、MIHO美術館のオープニングに招待されて一瞬ですが、日本に行って、記事を書きました。実はその後、直接ビルバオに行ったんです。ちょうどビルバオのグッゲンハイム美術館が数日後にオープンしたんですよね。1週間に2つも美術館がオープンするなんてとても珍しいことですよね。次はRachofsky家と一緒に確か5年ほど前に、直島に行きました。理由は、金沢の21世紀美術館でのマシュー・バーニー展のオープニングでした。私たちはアートと同じくらい建築に興味があり、Sanaaのこの美術館も見ておきたかったのです。そのときは、金沢、京都、東京、直島に行きました。そして今回3度目の日本ですね。
日本のコンテンポラリーアートは見ますか? 
正直、自分の日本のアートの知識にはムラがあると思います。世界のアートマーケットで成功している日本人アーティストはこれまであまり自分の興味に入ってきませんでした。しかし、その前置きをした上で、自分のクライアントのアートコレクションは全て全然違うものです。そして私は、自分のある一定の趣味をコレクションに持ち込むというよりは、それぞれのコレクションを見た上で、それぞれのユニークアイデンティティを作り出すように働きかけるようにしてきました。それで、ときによっては、自分がいつもだと反応しないような作品、作家を強制的に見せられて、自分の趣味ではないかもしれないけれど、その面白さを発見することはありました。それがまさに自分にとって村上でした。当初、私は村上の作品に自分では反応しませんでした。もちろん、彼が非常に重要で、そして影響力がある作家であり、とてもしっかりした背景、アイデア、思考プロセスの結合として作品が生み出されているということは理解していました。LA MOCAでレトロスペクティブがあった際に村上をLAで取り扱っているディーラーのティム・ブラムに、「彼の作品を一番理解しているのは君だと思う。この展覧会を案内しながら、作品について僕に説明してくれないか。村上を理解する別の入り口のようなものに導いてくれないかと。」頼んだんです。その際に、彼が自分にとっての村上のドアを開けてくれたんです。そして、作品の根底にあるものを理解し、自分個人として村上の作品にコネクトすることができ、わかりはじめたんです。そして、数年前に自分のクライアントのコレクターの一人が、村上の作品をコレクションすることに非常に興味を持ち始めたんです。そして、また、偶然ローマに行ったときに、そこのガゴシアンギャラリーで彼の展覧会を見たんです。数点のとても大きな絵画でした。そこで、はじめてとても個人的な反応があったんです。彼の作品に対しては一度もそういう反応は無かったんです。それまでは、もっと知的なレイヤーでか、もしくは感情的な反応はありました。でも、ここではじめてとても直感的で理屈抜きの反応があったんです。これで完全にドアがあいて、全てが変わりました。それで、アドバイザーとして自分のクライアントに責任を持って彼を勧めることができるようになった入り口になったんです。これまで自分達がフォーカスしてきた日本の50年代、60年代のアートは、とても特別な歴史的なルーツからきていて、ある線の上を動いてきています。そして、村上の作品はまた別のラインから来ていて、自分としてまだわかりませんが、あるプロセスの中で、それらが交わる点を見つけられるような気がしているんです。本当に個人的な希望的観測ですが、これらのことで、全く違った観点から日本のコンテンポラリーアートを理解することにつながるのではないかと感じています。これまで、しっかり日本のコンテンポラリーアートを見る機会に恵まれてきませんでした。見てきたものと言えば、国際的な場における展覧会の中でしか見てきていないので、まだまだ文化的根底から理解しているとは言えないと思います。 
日本の若手アーティストや、ギャラリーからよく、世界の大きなアートシーンに入っていくにはどうすればいいのかという質問を受けます。実際、村上隆は自らニューヨークで成功しましたが、奈良、村上以降、あまり日本から世界で成功するアーティストが出ていないのも事実です。日本は今だに大国で多数のアーティストもいるのですが、世界におけるブラインドスポットになっているような気がしています。日本の多くのアート業界の人々がどうすればいいのかわからない状況です。その状況についてどうアドバイスいただけますか?
これはとても面白いジレンマです。今、どうして自分達が白髪の作品を真剣に見始めているのでしょうか。今までも真剣に見ている人はいましたが、とても小さな世界でした。それが、どうして突然、ずっと大きなアメリカ、ヨーロッパのマーケットにとって意味ができはじめてきたんでしょうか。これは、私たちが今どこにいて、どういう歴史的大局観を持っているかに関係があると思います。作品は、ずっとそこにあって同じ作品なわけです。私がこの作品に届くまでこんなに長い時間かかるべきではないのですが、実際にはかかりました。これはなんというか不思議な条件の集まりなのですが、時期がいつで、自分達自信の文化を見る見方にも同じことがいえます。ポール・マッカーシーがいい例です。生きている作家の中で一番重要な作家の一人ですが、ロサンゼルスの一部のアーティストコミュニティ以外の、アートワールド全体に真剣に評価されたのは、彼が活動をはじめて30年経ったあとでした。その数十年の活動のあと、突然彼の作品の重要さ、深さなどが理解されはじめたんです。とはいえ、一般的にその作家が日本人であれ、イタリア人であれ、ブルックリン出身だろうと、若い作家がある一定の認知を得はじめるのは、その作品を心から理解して、信じている誰かがいるからです。そしてその誰かが、別の誰かを知っていて、別の誰かを何らかの形で説得してという繋がりです。如何にこういうことが起こっていくかのこのプロセスは自分にもとても不思議なものです。自分がキュレーターだったころは、自分はその作品についてそして、その根底にあるものを理解していて、どこで誰に見せようか美術館のキュレーターに見せるか、オルタナティブスペースに持っていくか、そうすると、誰かが別の誰かに電話してその人が別の誰かに電話して、ドアが開くかなあと考えて活動していましたが、結局のところ、そこに自分が投入する努力だけではだめで、最後はタイミングというか、その時代が、その作品を見るのに準備ができているかどうかということなんですかね。ときどき、あるそこそこエスタブリッシュされた作家で、一定の期間マーケットにいる作家によるしっかりしたいい作品で、なんとなく直感的に、これは皆が思うよりも重要で、貴重な作品だと感じることがあるんですね。そして、それが20万ドルで売れて、別の同じような作家の作品が200万ドルもすることに合理的な理由はないんです。これが直感的に絶好の好機なんです。そして、ある時、マーケットが作動するというか、スイッチが入るんですね。そうするともう好機ではなくなっているんです。それがいつ来るか、なぜなのかわからないんですが、起こるのです。だから、アーティストは、ディーラーか、キュレーターか、パトロンか誰か自分のことを理解してくれ、情熱も持ってくれて、そしてコネクションが充実している誰かを持つ必要があって、その誰かが外の世界とのリンクを形成してくれるのです。

村上隆の場合でさえ、その名前、作品を知っているところから何かが彼の中でクリックして、直感的に理解するまでに色々な段階(偶然いくつかの作品を見る、それをよく知っている人に説明してもらう、そしてまたいくつも作品を目にする、ある所でクリックする)を経ていることがわかる。このクリックするというのは難しいが、自分なりに言葉にすると、それまで受容してきたたくさんのその作品、作家に対するテキスト、ビジュアルの情報などが自分の脳の中で無意識的にいくつもの結節点をつくっていき、それがある一定の数に達したときに 何か発見したような気になるという感覚かなと思う。日本で有名な作家の多くはみな日本のギャラリーに所属していて、他の国のギャラリーに所属していない場合が多い。もちろん、海外のギャラリーに所属しようとがんばるけどなかなか実現しないという場合もあれば、日本のギャラリーに全て任せてあるから大丈夫というような場合も多いのではないだろうか。でも海外のマーケットに出て行く(海外のコレクター、キュレーター、アドバイザー、批評家達に見てもらって、知ってもらう)ためには、彼らが作品をしっかり見れる機会を増やすことが大事で、アートフェアだけでは全くもって不十分(そもそもギャラリーでの個展とアートフェアでの展示は見せ方も、見る側のメンタリティも全く違う)だ。そのためには欧米のしっかりしたギャラリーに所属するべきだし、その努力をアーティストもするべきだろう。日本のギャラリーとしては、アートフェアなんかで海外の他のギャラリーともできるだけコンタクトをとって、ゆるやかなパートナーシップのようなものをむすんで作家スワップのようなことをして、積極的に作家を他国で見せていくようにしかけていくべきではないだろうか。

Saturday, January 14, 2012

NYにおけるアート本・カタログの売り買い事情

写真はEV GRIEVEよりMast Books店頭

11月末に1年半住んだイーストビレッジのアパートからブルックリンのサンセットパーク地区に引っ越したのだが、アートのプレスということで、日頃からカタログなどをもらうことも多く、かなりの量になっていたので、捨てるのも忍びないしと重い、結構な量の本(主にアート関係)を古本屋に持っていった。最初は1箇所に持って行ってそこで引きとってくれなかったら捨てようと思っていたのだが、最初のところが意外と高く買ってくれたのと、アート本の価値について興味がわいたので、最終的には3箇所に持っていった。

まずは、イーストビレッジに昔からある老舗の古本屋のEast Village Books、文化一般幅広い書籍や音楽CDも売っている。

East Village Books
99 St. Mark's Place (between Ave. A & First Ave. in Manhattan)
New York, NY 10009
(212) 477-8647

その次に行ったのが、Avenue Aに最近できたセレクションがかなりいいアート古本屋のMast Books。


Mast Books
66 Avenue A
New York, NY 10009
Between 4th & 5th Streets

そして、4th Avenue沿いのAlabaster Bookshopここも文化関係を中心に多様な品ぞろえ。


Alabaster Bookshop
122 Fourth Ave., New York, NY 10003
nr. 12th St.
212-982-3550



本、特にアートのカタログなんかはかなり重いので、10冊くらいをリュックに入れると限界。最初のEast Village Booksでは、半分くらいを引きとってくれて30ドル弱。悪くない、中でもある若手中国人作家のジンのようなアーティストブックが、これは売れないかもなあと思っていたら、実は10ドルで引きとってくれてかなり驚いて、次の日に別の本を持って行くとちゃっかり200ドルの値札がついて一番いいところで売られている、、、。ここでは店員はまず本をざっと見て、間違いなく買わないのだけよけて、その後買うかもしれないのをオンラインのデータベースを見て価格を決めていく。結構セレクションは厳しい。ただ、店員がアートのことをすごくよく知っているというわけではなさそう。データベース頼み。

次のMast Booksはさらにセレクションが厳しく、アートプロフェッショナル的にホットであったり、有名な作家のモノグラフか著名な作家のフィクション、哲学書などしか買ってくれない。ここは店員がアートシーンをよく知っていて(たしか元ガゴシアンギャラリーで働いてた人がはじめたという話を聞いたような)、最後の最後にオンラインのデータベースで確認する程度。

そしてはじめの2店に何回も行って結構あまったなあと思って、だめもとでAlabaster Bookshopに行くと、ここは全ての本を片っ端からオンラインのデータベースで調べて、そこでの販売価格の10%の現金(若干交渉の余地はあった)か20%のストアクレジット(その店で別の古本を買えるクレジット)にしてくれた。値段がつかない本(つまりオンラインのデータベースで1ドルになっていてしかも何点も出点されている)なんかも50セントなんかで引きとってくれた。若い店員さんがかなり気さくで、店頭に結構日本の古美術のカタログなんかもならんでいて聞くと、彼は最近コロンビア大学を出たばかりで、大学で日本美術史の授業を受けていたからだとのこと。本好きだからいいけど、ちゃんとした仕事を探し中だ的なことも言っていた。

結局100冊近くを3店舗で下取りしてもらって色々わかったのだが、まず通常の小説や文芸書などはクラシックな名著であってもほとんど値段がつかない。これは完全に電子書籍、電子リーダーの普及の影響だとのこと。しかし、アート本はほとんど電子書籍化されていないし、中小の出版社が細々と出していたりギャラリーの自費出版的なものが多く、種類も多いので、逆にニッチに流通しているようで古本の値段がかなり高いのだ。推測でしか無いが、アートコレクターにとって数百万、数千万円のアート作品を買う前に、予習のために数万円の資料性の高いモノグラフ、カタログを買ったり、ほぼ作品のようなジンを数万円で買う価値は十分にあるのだろう。

今までオンラインのデータベースとやや抽象的に書いてきたが、アマゾン含めて皆が使うのは2,3種類で、どの書店の店員もまずいくのがAbebooks というサイトで、これは世界中の(日本は入ってない)古本屋が加盟して、主に古本の売り買いをしているサイト。かなりマイナーな本(本というかジンというかみたいな体裁のアート本なども)まで出てくる。店先は小さく古い感じのEast Village Booksが高額(買取価格数ドルー10ドル、つまり販売価格数十ドルから数百ドル)の本を買い取ってくれたときに、あまり客の入りもよくないこの店でちゃんと在庫はけるのかなあと感じたのだが、今から考えると、このAbebooksのようなメインはBtoBのexchangeサイトのおかげで、全米、もっと言えば世界中のどこかである一人が高いお金を出してでもほしいと思う本であれば、在庫に持っていてもオンライン経由で売れていくのだろう。つまり、一見昔ながらの古本屋にみえて、その実は通りがかりの客も入ることができる在庫倉庫みたいなものにかわりつつあるようだ。だから逆にそういう店では大量に流通していてどこにでもある小説なんかは引きとってくれない。Alabaster Bookshopは大通りに面していてそれなりに客の入りもあるので、レアなアート本と多く流通している安い本も引きとってくれる。アマゾンの巨大化にともなって書店チェーンが倒産したりしていく中で、逆にこういうニッチな個人店舗は、アマゾンの巨大流通倉庫+輸送料よりもずっとローコストな(つまり、店頭に安い給料の店員が一人だけいて、客が持ってきた古本を査定して必要なものだけ下取りして、店頭とオンライン両方で売っていく)この構造でやっていけているんだなあと感心してしまった。先に、店というよりは在庫倉庫になりつつあるニッチ古本屋と書いたが、店頭が無くなってオンラインショップになってしまわない理由の一つは、店頭が実は買う客向けよりは良質の在庫を売りに来る客獲得に向いているからじゃないかとまで感じる。どちらにせよ、テッククランチの「シリコンバレーのわれわれは雇用を殺し, 富める者を肥大させているのか?」の記事を思い出した。ロングテールで一つの独占企業が勝って、あとの中小はどんどん死に絶えていくというではなくて、小のところはしっかりニッチにアジャストすればロングテールのテール部分をどんどん伸ばしていく方向でやっていけるのかなと感じさせてくれる。

ちなみに、少しだけ古着もBuffalo Exchangeというところに持っていった。さすがに古着はオンラインデータベースみたいなのは無いので、店員が経験と勘で、その場で店頭での再販売価格を決める。ここはブランドというよりは、その服が綺麗かどうか、デザインがカジュアルで若いかどうかが決め手のようだった。この店では、その再販売価格の30%を現金で受け取るか、50%のストアクレジットにしてくれる。客もその店に来た人が買っていくというもの。昔ながらの古着ビジネスだが、本の換金率(10%)よりもかなりいい。ファーストファッションの影響か、人々の服を買い換えるサイクルが早くなっている中で、こういう業態も以前より以外のいいのかもしれない。


Buffalo Exchange
332 E. 11th Street, East Village, New York, NY
Between 1st and 2nd Avenues
(212) 260-9340

結果的に、大量の本と少しの服で結局2,3百ドルにもなった。これにはかなり驚きで、10年前であればほとんどニッチ過ぎて値段がつかなかったであろうと思うと久しぶりにインターネットはすごいなあと思う。自分は今回全くネットで売り買いしていないにも関わらず。さて、このAbebooksに近いようなことをアート業界でやろうとしていたのがArt.syなのだが、もうかれこれ2年近く経つがサイトがスタートしない、、、。色々とオンライン上だけでたくさんのことをやろうとして、バランスがとれなくなっているのかな。Abebooksみたいな割り切ったセカンダリーギャラリー同士のexchangeサイト誰かやらないかな。セカンダリーは何かと不透明で批判の対象になるけれど、皆がこのようなexchangeサイトを使うことで、セカンダリーの取引がある程度透明になると思うのだが。サイト自体の仕組みはそれほど難しくないだろうけど、B to B、B to Cともに多くの人に使ってもらう最初の巻き込み、立ち上げが一番難しいだろうなあ。


Friday, January 13, 2012

美術手帖2012年1月号「Global Art Market Now: 世界のアートマーケット」に執筆

明けましておめでとうございます。

Photo by Aneta Glinkowska

現在、書店に並んでいる美術手帖1月号で、なんと総計27ページ分も担当したので、ここで簡単に紹介させていただいて、是非ご覧いただければと。この号は表題が「Global Art Market: 世界のアートマーケット」で、美術批評が中心であった美術手帖としてはかなり珍しいアートマーケットについての特集号。書店にならんでほぼ1ヶ月弱が経ち、もう次号が並びそうなタイミングだけれど、編集長によると内容についての評判も、そして売り上げも通常よりいいとのこと。日本でもアートマーケットについての情報がかなり強く求められているということだろう。

美術手帖 2012年 01月号 [雑誌]

美術出版社 (2011-12-17)



11月に村上隆の呼び掛けで行われた震災復興のためのチャリティーオークション「New Day」について、2000年以降のアートマーケットの概要について、アートマーケットにおける重要人物へのインタビュー、そして成長するアジアマーケットについてと幅広く、そしてしっかり掘り下げて現状のアートマーケットがわかる内容になっている。

その中で、自分が担当したのは下記7本計27ページの記事。

- New Day 「プレビュー記者会見レポート」P.17
 開催1週間前に行われたプレビューに出席していた奈良美智、タカノ綾など作家紹介をメインに。

- New Dayのクリスティーズ担当者「Koji Inoue」へのインタビューP.20-21
 クリスティーズのスペシャリストにNew Dayについてと、そもそもスペシャリストの仕事について。

- New Day開催前に雨ニモ負ケズの朗読を行った俳優の渡辺謙へのインタビューP.21
 はじめてオークションに関わったことについてなど。

- New Day主催者の村上隆へのインタビュー P.23-29
 今回のプロジェクト、村上隆にとっての日本とアメリカについてなど幅広く。

- 「数字で知るアートマーケットの規模」P.32-35
 例えば、現状の世界のアートマーケットは4兆円程度だが、GDP比では1割弱の日本は1000−2000億円程度であることなど、マーケットにまつわる数字を紹介、説明。

- 「年表でたどるアートマーケットの発展史」P.36-41
 ここ10年間に起こったアートマーケットに関する出来事(高額作品の取引など)を時系列で紹介。

- アートアドバイザーの「アラン・シュワルツマン」へのインタビューP.104-109
 昨今のアートマーケットの最有力プレーヤーでありながら、あまり表に出てくることがないアドバイザー。世界トップクラスのアドバイザーに、そもそもアドバイザーとは何か、そして彼の顧客について、日本の戦後美術の「発見」などを伺った。

日本語によるインタビューを2本(村上隆、渡辺謙)、英語のインタビューを2本(井上光司、アラン・シュワルツマン)、レポート1本、数字についての情報記事2本と全てアートマーケットに関わるものでありながら、幅広いアプローチ、記事スタイルに関わることができ、大変なこと(特に数字周りの情報記事はネタ探し、数字の確認などのためにネットや有料データベースだけでなく、過去10年間のアート雑誌に目を通すために図書館に1週間篭ったりと労力がかかった)もありながらも、とても有意義で勉強になった仕事になった。

個人的には、アラン・シュワルツマンへのインタビューが一番オススメで、一見グローバルなハイブロウのアートシーンの話で日本には関係ないように見えるかもしれないけれど、昨今のアートマーケットのファンダメンタルな変化について示唆に富んだ内容の濃いものになっていると思う。また、50年たった今、所謂欧米において欧米以外の地域の60年代のアートシーンの動向に注目が集まっている状況、そしてそのことでその地域のコンテンポラリーへの文脈が作られつつあることにも若干触れてくれている。

自分が関わった文章以外にも、「アートタクティック」ディレクターの解説、ガゴシアンについて、イヴァン・ヴィルト、イーライ・ブロード、ムグラビ、サーチなど世界の最重要プレーヤーばかりで本当にオススメ。

今号にとりかかる際に、何冊かアートマーケットに関する洋書を読んだのだが、その中でも一番分かりやすく、系統だってマーケットを説明していたのが、「The $12 Million Stuffed Shark: The Curious Economics of Contemporary Art」という本で、ダミアン・ハーストの有名なサメのホルマリン漬けの作品が、ヘッジファンドマネージャーで有名なコレクターのスティーブ・コーエンに$12Mで購入されたエピソード(つまりマネーゲームの神のようなヘッジファンドマネージャーが一見ただのサメのホルマリン漬けにどうして$12Mも出したのかということ)から始まってグローバルアートマーケットを一つ一つ説明していく本。カナダのトロントにあるヨーク大学というところでMBAプログラムのマーケティングと経済を教えているDon Thompsonが筆者。実はこの本を読み終わった後、偶然筆者本人がサザビーズのイブニングオークションで隣に座っていたのがきっかけで知り合いになったこともあり、是非自分が和訳をして日本語版を出版できないかなと考えていたりもする。

The $12 Million Stuffed Shark: The Curious Economics of Contemporary Art
Don Thompson
Palgrave Macmillan
売り上げランキング: 72062



何はともあれ今号の美術手帖、是非読んでください。ちなみにアマゾンのレビューがかなり偏った意見が一つしかついていないことで星1つになっているので、是非読んでレビューを書いてくださいませ。

美術手帖 2012年 01月号 [雑誌]

美術出版社 (2011-12-17)

Monday, April 25, 2011

"Love Art & Help Japan" について



3月11日の震災直後の週末は、本当にUSTから流れてくるNHKの放送に釘付けになりながら、唖然とするばかりだった。多分程度の差こそあれ、日本人だけでなく世界中の人がそういう感じだったんじゃないだろうか。ただ、月曜日になると、当然のことながら、ニューヨークに住む人々は、通常通り通勤通学がはじまり、店は普通に開いていて、本当に何事も無かったかのように日常にもどっていった。その中で、日本人の自分としては、頭の中の大きな不安などと目の前の日常に大きなギャップを感じながら、自分には何ができるのだろうかと考えるようになっていった。その間に出会ったアーティストの一人にアートビートは何かやらないのか?と聞かれたことや、日本からたまたまNYに来ていた編集者の人にファッション業界はすでにリアクションを起こし始めているがアート業界はどうなんだと聞かれたことなどもなんらかのきっかけになったかもしれない。

ちょうど、次の週がニューヨークではアジアアートウィークで、主にアンティークだが日本に関連する展覧会、イベントもたくさん予定されていたことで、そのアートウィークでなんらかのファンドレイジングをするべきだと考えた。アジアアートウィークの中心的存在はやはりオークションであり、クリスティーズで日本美術のオークションを統括している山口桂さんには日頃からお世話になっていたこともあり、真っ先に連絡し、企画どころかまとまった考えにもなっていない中で、コンタクトをしてみた。震災のたった10日後に日本美術のオークションを控える山口さんも、何かをしなければいけないという気持ちでいっぱいで、大きく賛同してくださり、数日後のアートウィークスタートに間に合うようにと大急ぎでいろいろと電話とメールで話し合った。

アート業界は他の業界に比べて産業規模も小さいし、またそれを構成するプレーヤーも企業体をなしているのは美術館、オークションハウスくらいのもので、他はアーティスト、ギャラリーと個人事業やそれに毛のはえたようなのが多数集まってなりたっている。ただ各自は小さくとも、それらが繋がることで一つのチャネルとして広がっていくフレキシブルなファンドレイジングキャンペーンということで、最終的には、こちらで募金箱を用意し、アートウィークに参加しているギャラリー、オークション、その他アート施設に置いてもらうことにした。義援金を集めると同時に、日本から遠くはなれたニューヨークでもアートを通じてこの東日本大震災についての認知を高めてもらうのがねらいだった。ニューヨーク中に無数にちらばるギャラリーの受付台を一つのメディアと見立てたわけだ。

震災復興の役に立つ何かをしたい、そこから遠くはなれた自分に何ができるかと考えたときに、自分には直接義援金として送るお金はあまりないけれども、アートビートのメディアと、日々リスティングしているニューヨーク中の1000を超える美術館、ギャラリーとのコンタクト、そしてなにより自営業者として自由に動ける時間はあるなというのが出発点だったような気がする。

募金箱を作るにあたって、J-collaboというニューヨークにおける日本人アーティスト、デザイナーなどを結ぶメディア、イベント活動をしている佐賀関さんが、以前資生堂にお勤めでコスメのパッケージデザインをやっているプロだということで、協力をお願いしたところ、2つ返事でご協力いただけることになった。できるだけコストをかけずに、メッセージが一目で伝わるしっかりしたデザインの募金箱を数十単位で、数日で作るという難題をクリアしてくださった。

まずベースになる箱はダンボール製で主に投票用なんかに使われるのが安くあることを見つけて、最小ロットである50を注文。キャンペーン名を"Love Art & Help Japan”とし、一目でそれとわかる素晴らしイラストを佐賀関さんの知り合いのイラストレーターの方に描いてもらう。キャンペーン名、イラストをシールで印刷し、発送されてきたそれらの箱に貼り付ける。火曜日に動き始めて土曜日にはすっかり50箱が完成した。



まずは、山口さんが中心にアジアアートウィークに参加しているギャラリーに参加をよびかけ、また、自分たちの周りのアート関係者の皆さんに参加、賛同を呼びかけるメールをし、そこから有機的に繋がりのあるギャラリー、アート施設に呼びかけが広まった。同時にNYAB内に簡単なオフィシャルページをつくり、そこをランディングページにtwitter、facebook、メールなどでどんどん呼びかけをしていった。

1ヶ月ほどがたった4月末現在、匿名での参加をしてくれているギャラリーなども含めて70ほどのアートスペースが募金箱を設置してくれている。中でも世界有数の大手ギャラリーのPace Galleryはニューヨーク中の関連ギャラリー8箇所全部に置いてくれている。期間としては、印象派、現代アートのオークションなどもあり、ニューヨークのアートシーンが一番盛り上がる5月いっぱいまで置いてもらって5月末に回収し、日本赤十字に全額を送ることにしている。

このような形での募金活動を日本でさえやったことがなかったのだが、米国でということで、体当たりでやるしかなく、やりながら学ぶことはいくつもあった。まず、美術館や、アートセンターなどの非営利団体は、真っ先に参加してくれるかと思いきや、その美術館の設立目的(現代アートの啓蒙などそれぞれだが)以外の名目でファンドレイジングをすることができない場合がほとんどであり、このような活動にほぼ参加できない。特に米国では、様々な形でこれら非営利団体に税制上の優遇措置が与えられているが、逆に言えば、税の優遇を受けている設立目的の活動内容以外はできないようになっている。考えて見れば当然だが、最初は思いつかない。あとは、大手ギャラリーからの返答で多かったのが、今回の震災はもちろん大変なことで、参加したいのだが、このようなキャンペーンに一度参加すると、世界中で起きている様々な災害、戦争、人道上の問題などからの参加の要請がたくさんあり、言葉は悪いがきりがないので、申し訳ないが参加できないというもの。世界中から外国人が集まってできているようなニューヨーク、まして外国人だらけのアート業界らしいといえばらしいか。このあたりになってくるとそのギャラリーがどれだけ日本に親近感を持っているか、ギャラリー内に日本人従業員がいるか、日本人作家を扱っているか、担当者がどのように判断するかなどで対応は変わってくる。ただ、先進国の日本であまり大きな問題らしい問題が起きない日本人にとってみると今回の震災は未曾有の世界を揺るがす大事件だが、人によっては、それでも経済力のある日本よりも大地震が起きて1年もたっているが復興が進まないハイチのほうがまだまだ助けは必要だと真顔でいう人もいる。あとは現金を入れる募金箱を置いてもらうギャンペーンにあたって、その主催が有名人や有名な企業ではなく、有志の集まりということで信頼を醸成するのが大変かと思ったが、最初に大きな企業でもあり、アート業界で信頼されているクリスティーズが参加してくれていたということでキャンペーン自体の信頼性が担保されたのは大きい。また、米国ではあまり現金を持たずにクレジットカードや小切手を使う場合が多いのだが、オペレーションの簡略化のためにも、草の根活動ということで法人無しで寄付に対する税の優遇などもできないということで、この募金箱はキャッシュのみにしている。それでもこの募金箱を見ることで、震災に対して小切手で大口の募金をしたいという方が結構いて、そういう方にはしっかり税の優遇も受けれるJapan SocietyのJapan Earthquake Relief Fundをすすめてもらうようにしている。あとは、ある数日間の大きなアートイベントに置いてもらっても10ドルしか入らなかったこともあり、目立つところに置いてあっても、アートを見に、買いに来た人が自分とは関係の無い日本の震災への募金箱にお金を入れるというアクションにつなげるのは簡単なことではないが、人がある程度滞留するオープニングなどのときに、お酒をサーブする場所の横に置いておいたりすると、お酒は無料だが、サーバーにチップをあげる習慣があり、財布に手をかけたついでにという一つのきっかけや、何度も募金箱を目にすることで何度目かには実際の募金につながることで、結構お金が集まることも経験上わかってきた。

たくさんのボランティアの方が様々な形でサポートしてくださっていて、募金箱をアッパーイーストサイドからブルックリンまで70箇所ものアートスペースに持っていっていただいたり、また、アートスペースに置いてもらう以外にも、様々なチャリティーコンサートやアート関連書籍の出版イベントなどでもボランティアの方が箱を持ってみんなに呼びかけることで1日で結構募金が集まっている。また、アジアソサイエティという美術館では、上記の税制上の理由からも震災復興のための義援金集め自体はできないけれど、その呼びかけのためのチャリティーコンサート内でこのキャンペーンについてのプレゼンテーションをする機会をくださったり、自分も運営に関わっていた"We Are One”チャリティー展覧会の一つの企画として、このキャンペーンに大きく賛同してくださっている芸術史家の富井玲子さんが、アーティストの森万里子氏、インゴ・ギュンター氏、DJ Spooky氏に声をかけてアーティストトークを企画してくださり、トークの入場料の代わりに募金をお願いしますというような形でファンドレイジングしたりと、様々な形でこのキャンペーンは広がっている。

かなり長くなってしまったが、キャンペーンをはじめて1ヶ月以上たち、記録のためにも、また他のファンドレイジングにも活かせることが若干あればと思い、できるだけ丁寧に書いたつもり。

以下、このキャンペーンについてのフォトレポートや他の媒体での紹介記事のリンク。

- NY中の様々なアートスペースに設置された募金箱のフォトレポート
- NY中の様々なアートスペースに設置された募金箱のフォトレポート2
- ”We are one”チャリティー展覧会のフォトレポート

- Art in Americaでの紹介記事
- Adrian Favell氏がArt itにて紹介してくれた記事
- NYUでジャーナリズムを学ぶ2年生の大学生がFOXニュースのインターンとしてオンラインの動画ニュースとして紹介しれくれたもの
- キャンペーンの賛同者の一人である芸術史家の富井玲子さんが業界誌の「新美術新聞」5月1・11日号で紹介してくださった記事

Wednesday, April 20, 2011

東京でのレクチャーと執筆を少し

はっと気がつくと自分のブログが最後に更新されたのは去年の8月とは。本当にブログの体をなしていない。

マイルで行くしかなく、いい時期に飛行機のチケットが取れないという消極的な理由で年末年始に1ヶ月以上日本にいたのだが、その際に大小含めて4つのレクチャーをさせていただいたので、そのことと、今年に入って2つ文章を書かせてもらったことなど。

-CAMP 現在のアート<2010>「2010年のニューヨークアートシーンを僕なりに振り返って」@ 3331 Arts Chiyoda (December 22, 2010)

CAMPとして恒例になっているらしい企画で、年末にその年を10人以上のアート関係者が振り返る長時間トークに呼んでもらった。ニューヨークで展覧会を見ている身として、2010年なんとなく目立った傾向のようなものを話した。詳しくは後述。12人の最後ということで時間をオーバーしてしまい、みなさんにかなり突っ込まれる。4時間のトーク後、すでに終電はなく、2次会でとても久しぶりに甘太郎的なチェーン居酒屋で朝まで。2次会含めてとても楽しかった。

- 「2010年のニューヨークアートシーン」@ 前橋市立美術館準備室 (January 19, 2011)

学芸員の住友さんが主体になって準備している前橋市立美術館予定地を見学ついでに、トークでもということで、前橋を中心に活動しているアーティストやデザイナーなどのみなさんにアートビートの活動と、CAMP同様ニューヨークの2010年アート的傾向のようなものを話した。前橋は県庁所在都市で市立美術館がない最後の都市だそうだ。建物を建てるのではなく、デパート跡地をリノベーションして美術館になるという今風のやり方。鈍行で2時間弱ということで、午後に東京を出て、10時半頃の終電で帰ってきた。

- 第四回MCDN定期勉強会「アートとWEBサービスの最新動向」@ 慶応義塾大学三田キャンパス (January 20, 2011) 【実施報告】Togetterまとめ

慶應でアートマネジメントを教えていらっしゃる岩渕先生と、修士の山本さんが中心になって立ち上げたMCDN=Museum Career
Development Networkの第四回で話させていただいた。この勉強会の趣旨からも美術館やその周辺についての話が多いそうだが、少し話題を広げさせていただいて、ここのところ急に増えていたアート関連のウェブサービススタートアップの動向について話をさせていただいた。TABで新しく出したiPhoneアプリのMuponも東京の美術館への客の誘導チャネルの一つとして事例紹介させていただいた。

- 東京芸術大学芸術情報特論 「東京とニューヨークのアートシーンを眺めて」@ 東京芸術大学上野校地総合工房棟 (January 21, 2011)

最後は、藝大にて芸術情報特論という授業の一コマを担当させてもらった。その授業全体を受け持つ城さんに以前声をかけていただいたのがやっと実現。これまたアートビートの活動と、2010年ニューヨークでのなんとなく目立った傾向についての話をした。学生が中心ということもあり、アートビートを始めたころの話を中心に。上野キャンパスの中にある不忍荘という日本家屋を3部屋の旅館に改築したものに1週間泊めてもらい、大学内に寝泊まりするというとても楽しい経験をさせてもらう。

以上4つだが、そのうち3つはアートビート設立秘話的なものプラス2010年のニューヨークのアートシーンの傾向について話したのだが、具体的には、「Anthropology的(文化人類学的)」「パフォーマンス」「ポーランド」「ソーシャルワーク」という4つのキーワードを挙げて、それぞれ4,5人のアーティストをスライドで紹介した。名前を挙げておくと、Anthropology的: Huma Bhabha, Matthew Monahan, Matthew Day Jackson, Joanna Malinowska、パフォーマンス: Marina Abramovic, Tino Sehgal, gelitin, Bruce High Quality Foundation, Aki Sasamoto、ポーランド: Monika Sosnowska, Wilhelm Sasnal, Jakub Julian Ziolkowski、ソーシャルワーク: #class(展示), #TheSocialGraph(展示), Lush Life(展示), Terence Koh。

慶應では、ちょうどヴァーチャルフェアであるVIPが大注目されていたこともあり、VIPや、その他アメリカでどんどん出てきているアート関連のウェブサービススタートアップの紹介をした。詳しくはMCDNの実施報告と、レクチャー中のみなさんのtwitterをまとめたTogetterを読んでいただくのがいいが、旧来の広告収入中心のメディア型ではなく、ショップ型であったり、サブスクリプションベースのアーティストカタログサイトなどが数種類でてきており、どれもはじまったばかりでどれが上手く行くか誰にもわからないが、広告を見込むビジネスは一つも入っていない。急にこれらのサービスが増えている背景の一つに、90年代に金持ちになった金融系の人がアートを買い始め、中にはギャラリーをはじめたような人がでてきたように、なんらかのITベンチャーでお金持ちになったIT系の人たちの一部がアートを買い始め、その中から、アートマーケットの閉鎖性やIT化の遅れをビジネスチャンスと見て自分でサービスをスタートする例が多いということがあるというような話もした。

さて、執筆としては、下記の2つの記事を最近書かせていただいた。

- Na+ Issue #1 P6 「日本のアートを世界に」

上記CAMPの井上さんや女子美で教える杉田さん、キュレーターの崔敬華さんなどが中心になって立ち上げた”芸術生産に関わる人々が「ナショナリズム」について考えるためのタブロイド紙『Na+』”。お固い表題で、最初は本当に筆がすすまなかったが、結局自分が日々行っていることに引き寄せて書くことでなんとか締切りを大幅にオーバーしながらも書くことができた。

- 美術手帖 2011年3月号 P233 「世界初のオンラインアートフェア」

話題になっていたVIPアートフェアについて、フェア後にニューヨークのいくつかの参加ギャラリーにインタビューをして、他のプレスなども参考にしながらまとめた記事。はじめて美術手帖に執筆。

Thursday, August 19, 2010

TABとNYABのAndroidアプリケーションがリリース



TABとNYABのiPhoneアプリを2月にリリースして以来、約半年が経ち、おかげ様で、あわせて約3万人の方にダウンロードして使っていただいている。iPhoneを持っている人で、有料アプリを買うほどアートに興味がある人がそんなにいるとは正直考えもつかなかった。発売前の感覚では、1000と10000の間くらいかなというとてもざっくりとした感覚をもっていた。意外なことに、アート関係者ではなく、自分の同世代のサラリーマンの友達などが結構使ってくれているというのを聞いて本当にうれしい気持ちになる。半年経った今でも、毎日数十から百程度の人がダウンロードしてくれている。

さて、このたび、7月末にTABのそして8月中旬の昨日NYABのアンドロイドアプリを新たにリリースすることができた。機能やデザインはiPhoneアプリとほぼ同じ。たまにアンドロイドアプリって何という質問を受けるのだが、アンドロイドというのはGoogleが提供している携帯電話用のOSで、そのOSを使って世界中の携帯メーカーがスマートフォンを作っている。そのOS上で走るアプリをアンドロイドアプリという。日本ではまだ知名度が低く日本で流通している端末もSony EricssonのXperiaと台湾のHTCの数機種のみだが、近いうちに多くのメーカーから発売されていくはず。アメリカでは、AT&TがiPhoneを独占販売していることもあり、他のオペレーターは対抗馬としてアンドロイド携帯を猛プッシュしていることもあり、HTC、モトローラ、サムソン、Sony Ericsson、LGなどから多様なアンドロイドフォンが発売されている。iPhoneアプリと違って、リンクを貼るランディングページがないので、アンドロイド携帯をお持ちの方は、アンドロイドマーケットにて、"Tokyo Art Beat" もしくは "NY Art Beat"を検索して見つけてください。

TAB/NYABのiPhoneアプリが米国西海岸のデベロッパーによって開発されたのと違い、アンドロイドは日本のデベロッパーによって開発された。きっかけは3月に日本に出張した際に、僕が以前働いていたSony Ericssonの同期たちといつものように飲もうと集まったのだが、面白い後輩がいるからといって紹介してもらったのが、水鳥君だった。彼は入社年で2つくらい後輩で、ソニエリ初のアンドロイド機であるXperiaのソフトウェアエンジニアだったのだが、その開発が終わったあと、会社をやめて友人と二人で、Goldrush ComputingというiPhone/アンドロイドアプリ開発会社をはじめたところだった。ちょうどTABのiPhoneアプリがリリースされた後で、日本でもすぐにアンドロイドの携帯が出はじめるという時期で、水鳥君がTABのアンドロイドアプリ開発に大きな興味を持っていると聞いて、二つ返事でそれやろうということになったわけだ。その後たった数ヶ月ですばらしいアプリを作り上げてくれた。

まだまだ日本でのアンドロイドの知名度が低いこと、端末が少ないことや、そもそもアンドロイドマーケット自体がややカオス的なこともあって、日本語でまともなアプリがまだまだ少ない中、アートというニッチではありながらも、しっかりしたアプリを出せたことで、アンドロイドアプリ業界的には大きく注目していただいているようだ。

昨日とうとうNYABアプリを自分の携帯にインストールしたときには、鳥肌がたつような感じだった。というのも、中堅社員になりつつある自分の同期達が中心になって開発されたソニエリのXperiaに、自分が会社をやめてやってきたアートビートの展覧会情報を使って、これまたソニエリの後輩が会社をやめてつくった会社で開発したアンドロイドアプリがのっていて、これを日々使うのかと思うとちょっとした感動だったわけだ。

兎にも角にも、TAB/NYABのアプリ達をよろしくお願いしますというのと、水鳥君のアプリ会社Goldrush Computingはアプリ開発請負も探しているようなので面白いアプリの企画があれば是非声をかけてあげてください。おすすめです。