Art Basel ディレクターのMarc Spieglerさんのトーク



少し前になるが2週間前の1月16日(金)に森美術館でArt BaselのディレクターであるMarc Spiegler氏のトークがあり、101 TOKYOをやっている手前もあり聞きにいってきた。

1時間半ほど、Art Baselとは何か、この金融危機からはじまる不況の中Art Baselはどうなっていくのかなどを彼が割とテンポよく説明したあと、30分ほど質疑応答があるという形式で、250名の定員のところ約8割ほどうまっていただろうか。

率直な感想としてはかなり物足りなかった。なんというかArt Baselのディレクターという立場をふまえすぎた論調で、所謂ポジショントークに終始してしまい、不況であるが、これによってSpeculatorの時代は終わり、本当に良いものしか売れない時代になった。ただし、我がクライアントの世界トップレベルのギャラリーはそれほど大変ではなく、また世界トップの我がArt Baselは安泰である的な話になってしまい、2008年のマイアミバーゼルもギャラリー達が以前よりもずっと良い作品を持ってきていたので、売れ行きも良かった的なことを言っていて、いくらなんでもそれは、言い過ぎでしょという感想を持った。また、会場からの質問にもかなり表層的な受け答えになってしまい、ぶっちゃけトークはできないにしても、このご時世そんなにいい格好しないといけないのかねえと思ってしまった。同様の内容のインタビューがJapan Timesに上がっているのでご参考までに。

彼のトークの直前に101TOKYOやっていることもあり、ご挨拶程度に紹介していただいて10分ほど立ち話をしたのだが、新しいフェアをやる人へのアドバイスの一つとして、カッティングエッジなギャラリーだけを集めたフェアをやると見栄えはいいけど、一定数のコレクターしかこない中で、そのフェアの中では客の奪い合いになってしまうため、いろいろな別のジャンルのギャラリーをバランスよく呼んでくるのが良いよとのことだった。確かにBaselはコンテンポラリーだけでなく、モダンマスターのセカンダリーギャラリーの老舗のようなところも多数出ており彼のいわんとするところは分かるのだが、日本でそれをやるとなるとアートフェアー東京のような形になる。ただ、日本のコンテンポラリーアートシーンと、日本画、古美術アートシーンの間の人的、美的、倫理的断絶があまりに大きく、それはそれでまとまりを作るのが大変だ。これというのも、西洋美術がギリシャ時代からコンテンポラリーアートまでそれがあるフィクショナルな物語を含みつつも、線でつながるアートヒストリーが共有されているのに対して、中国美術からの影響を色濃く持ちながら続いてきた日本の芸術と、20世紀に入ってから西洋を見ながら作り上げてきたコンテンポラリーアートの間に歴史的、美的な断絶があることと大きく関係してくるような気がする。それはそのまま日本の美術館という施設にも当てはまるだろう。これから2000の美術館を作るという中国はさらに文化大革命を経験しており、芸術史の断絶という意味ではさらに大きいと思うのだが、どうなのだろうか?

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