アートとお酒
またもや1ヶ月ほどあいてしまった、、、。
今日朝起きてNY Art BeatのトラフィックをチェックしているとなんとNY Timesから結構なトラフィックが来ていることに気がついた。もしやiPhoneアプリをレビューしてくれた???と思って当該ページを見つけるとなんとアートの記事ではなく、"I’ll Take a Manhattan (or Any Other Drink, if It’s Free)"というマンハッタンでタダでお酒を飲むためのテクニック集といった趣の記事の中の多くのアイデアの一つとして、アートギャラリーのオープニングに行って飲もうというときにオープニングを探すのに便利なサイトとしてNYABを紹介してくれていたのだ。もう、これだからNYはいいなあと思える瞬間だ。もちろんNY TimesのアートコーナーでNYABを紹介してほしいけれど、最初に紹介してくれたのが低予算で生活を楽しむためのコーナーなのだ。扱いは小さいけれどそれなりのトラフィックが来る。さすがNY Times。もしかしたらおかたいアート欄よりトラフィックは多いだろうから直接的なリンクとしてはこっちのほうがよかったのかも。
アートギャラリーはオープニングと言って展示の初日に出展アーティストもその場にいて、ワインやビールなどを来場者に振舞うことが多い。これはNYも東京も同様だが、NYのほうがギャラリー数も多ければ歴史も長いのでその認知度はずっと高いかもしれない。それでも、カジュアルにアートが好きなNYの人だってオープニングで出ているお酒が無料なのかどうかで戸惑っている人だって見かける。それをわかっていたって特に日本人にとっては、作品を買うつもりでもないのにオープニングに行ってお酒を飲むなんて敷居が高くてと感じる人が多いかもしれない。でも、これは、アーティストへのお祝いや、顧客へのお礼なんていうのが重要な意味ではなく(まあ、そういう側面もあるだろうが)これによって長期的にはアートファンを作り出す大きな原動力になっていると常々思う。
アートを楽しむ上で(買う買わないは別として)、ギャラリーでお酒を飲むこと(ギャラリーからすれば出すこと)に2つ意味があると思う。一つはもちろん精神的なリラックス。日本にも飲みニケーションなんて言葉があるくらいだから、お酒を飲んで少し自分の精神的なガードを下げることで、日ごろは面白いと思わないかもしれないようなアートがふと面白く思えたり、先入観にとらわれない自由な見方ができるかもしれないことは想像がつくだろう。
そして、もう一つは時間。これは気づきにくいが、こちらのほうが重要かもしれない。お酒は5秒で飲みほすようなものじゃないので、お酒を手にした瞬間、人はそのギャラリーに少なくとも10分程度はとどまることになる。昼間に美術館に行ったり、ギャラリー巡りをしたりするときは、早ければ数秒で1作品を見て通り過ぎているのに、オープニングでは10枚くらいの作品がある1室に30分くらいいたりする。お酒が鑑賞者がゆっくり作品を見るのを即す一つのツールになっているわけだ。
この2つのことで、リラックスした人々が自然にギャラリーに留まり、アートを媒介に自然と知り合い同士、また知らない人ともアートについての会話がはじまることになる。ある作品について、一人で見てなるほどと思ったとしても、それを誰かと話すうちにまた違う発見をすることは本当によくある。これがどんどん積み重なることでアートコミュニティは広がっていく。
最初は、コレクターでもないのにと気後れしてしまうかもしれないが、ご安心を。10年後の自分なんて全くわからないし、もしかしたら毎月アートを買っているかもしれない。かくいう自分も、1999年に1年間、日本の大学を休学してNYの大学にマーケティングを勉強するために留学していたときに、外国人だからバイトはできない、クラブ活動もやらないで結構時間があって、なんとなく友人とオープニングが集まる木曜日にチェルシーに行ってみたら、夜なのに無料でアートは見れるわ、ただ酒(おっと)は飲めるわ、知らないアーティストが話しかけてくるわですっかり楽しんでいて、毎週のようにチェルシーに行くようになった。そして気づいたら東京アートビートをはじめて、勤めていた会社もやめて、NYに引っ越してNY Art Beatまではじめている。もちろん10年前にはさすがにこういうことを今しているとは全く考えもしなかった。
携帯メーカーに勤めていたときの同期を、2年前の101 TOKYOのオープニングに招待したら、とても楽しんでくれたようで、どの作品がというわけではないけれど、ワインを飲んでアートを見るその経験が楽しかった。と未だに言ってくる。お酒を飲んで見るアートはとても楽しいのだ。ちなみに、そうは言ってもギャラリーのオープニングに行くのは抵抗があるという人には渡辺さんという若くて実行力があってどんどんいろんなことをはじめている友達が東京のいろいろなギャラリーで月一のパーティーを開いている。月一にも関わらずアート関係者ではない普通の人がたくさん来るのだそうだ。これも一つのきっかけになるだろう。
変化球のNYABのNY Timesデビューが一気に10年前の自分を、今の活動をはじめるきっかけを思い出させてくれたので、うれしくなってなんとなく1ヶ月ぶりにブログをアップした。
今日朝起きてNY Art BeatのトラフィックをチェックしているとなんとNY Timesから結構なトラフィックが来ていることに気がついた。もしやiPhoneアプリをレビューしてくれた???と思って当該ページを見つけるとなんとアートの記事ではなく、"I’ll Take a Manhattan (or Any Other Drink, if It’s Free)"というマンハッタンでタダでお酒を飲むためのテクニック集といった趣の記事の中の多くのアイデアの一つとして、アートギャラリーのオープニングに行って飲もうというときにオープニングを探すのに便利なサイトとしてNYABを紹介してくれていたのだ。もう、これだからNYはいいなあと思える瞬間だ。もちろんNY TimesのアートコーナーでNYABを紹介してほしいけれど、最初に紹介してくれたのが低予算で生活を楽しむためのコーナーなのだ。扱いは小さいけれどそれなりのトラフィックが来る。さすがNY Times。もしかしたらおかたいアート欄よりトラフィックは多いだろうから直接的なリンクとしてはこっちのほうがよかったのかも。
アートギャラリーはオープニングと言って展示の初日に出展アーティストもその場にいて、ワインやビールなどを来場者に振舞うことが多い。これはNYも東京も同様だが、NYのほうがギャラリー数も多ければ歴史も長いのでその認知度はずっと高いかもしれない。それでも、カジュアルにアートが好きなNYの人だってオープニングで出ているお酒が無料なのかどうかで戸惑っている人だって見かける。それをわかっていたって特に日本人にとっては、作品を買うつもりでもないのにオープニングに行ってお酒を飲むなんて敷居が高くてと感じる人が多いかもしれない。でも、これは、アーティストへのお祝いや、顧客へのお礼なんていうのが重要な意味ではなく(まあ、そういう側面もあるだろうが)これによって長期的にはアートファンを作り出す大きな原動力になっていると常々思う。
アートを楽しむ上で(買う買わないは別として)、ギャラリーでお酒を飲むこと(ギャラリーからすれば出すこと)に2つ意味があると思う。一つはもちろん精神的なリラックス。日本にも飲みニケーションなんて言葉があるくらいだから、お酒を飲んで少し自分の精神的なガードを下げることで、日ごろは面白いと思わないかもしれないようなアートがふと面白く思えたり、先入観にとらわれない自由な見方ができるかもしれないことは想像がつくだろう。
そして、もう一つは時間。これは気づきにくいが、こちらのほうが重要かもしれない。お酒は5秒で飲みほすようなものじゃないので、お酒を手にした瞬間、人はそのギャラリーに少なくとも10分程度はとどまることになる。昼間に美術館に行ったり、ギャラリー巡りをしたりするときは、早ければ数秒で1作品を見て通り過ぎているのに、オープニングでは10枚くらいの作品がある1室に30分くらいいたりする。お酒が鑑賞者がゆっくり作品を見るのを即す一つのツールになっているわけだ。
この2つのことで、リラックスした人々が自然にギャラリーに留まり、アートを媒介に自然と知り合い同士、また知らない人ともアートについての会話がはじまることになる。ある作品について、一人で見てなるほどと思ったとしても、それを誰かと話すうちにまた違う発見をすることは本当によくある。これがどんどん積み重なることでアートコミュニティは広がっていく。
最初は、コレクターでもないのにと気後れしてしまうかもしれないが、ご安心を。10年後の自分なんて全くわからないし、もしかしたら毎月アートを買っているかもしれない。かくいう自分も、1999年に1年間、日本の大学を休学してNYの大学にマーケティングを勉強するために留学していたときに、外国人だからバイトはできない、クラブ活動もやらないで結構時間があって、なんとなく友人とオープニングが集まる木曜日にチェルシーに行ってみたら、夜なのに無料でアートは見れるわ、ただ酒(おっと)は飲めるわ、知らないアーティストが話しかけてくるわですっかり楽しんでいて、毎週のようにチェルシーに行くようになった。そして気づいたら東京アートビートをはじめて、勤めていた会社もやめて、NYに引っ越してNY Art Beatまではじめている。もちろん10年前にはさすがにこういうことを今しているとは全く考えもしなかった。
携帯メーカーに勤めていたときの同期を、2年前の101 TOKYOのオープニングに招待したら、とても楽しんでくれたようで、どの作品がというわけではないけれど、ワインを飲んでアートを見るその経験が楽しかった。と未だに言ってくる。お酒を飲んで見るアートはとても楽しいのだ。ちなみに、そうは言ってもギャラリーのオープニングに行くのは抵抗があるという人には渡辺さんという若くて実行力があってどんどんいろんなことをはじめている友達が東京のいろいろなギャラリーで月一のパーティーを開いている。月一にも関わらずアート関係者ではない普通の人がたくさん来るのだそうだ。これも一つのきっかけになるだろう。
変化球のNYABのNY Timesデビューが一気に10年前の自分を、今の活動をはじめるきっかけを思い出させてくれたので、うれしくなってなんとなく1ヶ月ぶりにブログをアップした。
興味惹かれる記事です♪
ReplyDelete現象は理解しましたが…、
現象の実体は…、そしてその本質(…って言うか、どう捉えるべきなのか?)は…?
これらの“うねり”の行き着く先は…、ヒントを下さい。
お答えになっているかわかりませんが、
ReplyDeleteアートはアート作品だけで成り立つことは不可能で、それを取り巻く様々な立場の人々が作品についてコミュニケーションをすることで全体として成り立つものだと思っています。また、アートがごく一部の特権的な人々のもの、もしくは多くの人々にとって理屈抜きにいわば崇拝の対象としての存在であったものから、もっと多くの人にとって動的に双方向的に価値が見出されて、付加されていくものへと移行しつつある中で、その仲介役、促進役としてのお酒は重要なんじゃないかという趣旨でこの文章を書いたつもりです。