アメリカを代表するミニマリスト桑山忠明氏へのインタビュー

1958年にニューヨークに渡って以降、一貫してミニマリスティックな作品作り(ご本人はインタビューでも自分はミニマリストではないとのことだが、タイトルはあえて)で、アメリカを代表する桑山忠明氏が、2月25日までチェルシーのGary Snyderギャラリーにて個展を開催中とのことで、NYABlog用にインタビューさせていただいた。インタビュー自体は日本語でさせていただいたので、せっかくだということもあり、日本語版をこちらで公開させていただく。去年には名古屋市立美術館金沢21世紀美術館で個展で、そして、今年の秋には神奈川県立美術館の葉山館での個展が控えている。

また、インタビューに当たって日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴの富井さん達がなさった桑山氏へのインタビューを参考にさせていただいたので、興味のある方は、是非そちらもあわせて読んでいただきたい。

Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1966) metallic paint on canvas with aluminum strips. 35 x 35 inches. © Tadaaki Kuwayama. Courtesy Gary Snyder Gallery, New York
Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1966) metallic paint on canvas with aluminum strips. 35 x 35 inches. © Tadaaki Kuwayama. Courtesy Gary Snyder Gallery, New York

F:1958年にニューヨークにいらっしゃいましたが、当時のニューヨークのアートシーンはどのようなものでしたか?抽象表現主義ばかりでしたか?

K:そうですね。まだそういう時代で、一般的には抽象表現ばかりでしたが、そろそろ、当時の若いジェネレーションは、そういうものから、抜け出したいという雰囲気でした。そもそも自分にとっては、米国に来る前の日本にはそういう米国のアートに関する情報が全然なかったんですよ。日本のアートマガジンでもそういうのを取り上げてなかった。やっぱり島国でしょ、日本は。で日本独特の美術があるし。まだ日本がそこまでいってなかったですよね。ジャクソン・ポロックぐらいは何かでもう紹介されていましたが、紹介されたといっても、ドリッピングの写真を1点くらい観たかっていう感じ。だから抽象表現主義についてもこちらに来てはじめて知ったんです。だから急に日本が0になっちゃった。それまで日本にいたことが、何か無駄っていうよりもロスみたいな。だから僕は普通の人間に比べると10年遅れているんですよ。アートに対する考え方が。つまりそれだけのロスがあったわけ。

F:ニューヨークに来て最初はどうやってアートシーンを見て行ったのですか?

K:それがね、当時は学生ビザでないと米国に来られなかったのでアート・スチューデント・リーグという学校に籍を置いていました。でも行ってもつまらないでしょ?あんなところ素人というか有閑マダムが行くとこで。先生もみなコンサバな人ばかりで。だからほとんど学校に行かなかった。だからサインだけして、家に戻ってくるっていう。だけど、行ってる間に友達が出来るじゃないですか。だから友達と酒飲んで、遊んでたりっていう。でも学校が57丁目にあって、MOMAに近かったので、そこの展示はよく見ていました。

F:来た時はニューヨークではまだ抽象表現主義が全盛の時期で、抽象表現主義的な、身体全身を使って描くということをされなかったのは何か理由があるんですか?

K:僕はそれが嫌だった。

F:それは皆がやっていることで、同じことはやりたくなかったということですか?

K:というか、僕はそれまで日本画をやっていてオイルを使ったことがなくて、日本画っていうのは粉絵具と水に膠、紙でしょ?抽象表現みたいなのは技法的にできなかったんです。それに僕は日本画っていうのが嫌いだったんですよ。学生時代から耐えられない世界だったわけ。材料がっていうよりも、日本画の組織が嫌だったんです。だから、僕はアメリカに来て自分で作ったっていうか。日本とはずっと関係がなかったんですよ。

Tadaaki Kuwayama 'Untitled: red and blue' (1961) acrylic, pigment with silver leaf on japanese paper mounted on canvas (1 panel) 216.2 x 166.2 cm. Collection of the Nagoya City Art Museum. Exhibition view of “Out of Silence: Tadaaki Kuwayama” 2010, Nagoya City Art Museum. Photo: Sakae Fukuoka.
Tadaaki Kuwayama 'Untitled: red and blue' (1961) acrylic, pigment with silver leaf on japanese paper mounted on canvas (1 panel) 216.2 x 166.2 cm. Collection of the Nagoya City Art Museum. Exhibition view of “Out of Silence: Tadaaki Kuwayama” 2010, Nagoya City Art Museum. Photo: Sakae Fukuoka.


F:61年に、グリーンギャラリーで開催された一番最初の展覧会はカラーフィールドの作品(Untitled:red and blue, 1961、Untitled:red, 1961 Untitled:black, 1961)ですが、そういうミニマルな作品にいたるきっかけは何ですか?

K:そういう作品にしようと思ったというよりも、むしろすることになる環境に置かれたのと、あの、それが僕の精一杯だったわけ。それで最初の展覧会をしたとたんに、自分で、あーしまったと思った。やっぱりまだアートに対して考えが浅いっていうね。だから作家っていうのは展覧会をする度に伸びるでしょ。僕はそう思う、どうしても否定的に自分の作品をみるでしょ。そういうもんですよ。自分の展覧会を見た後、一体自分の中で何がしたかったんだっていう自問自答をしました。

[Left] Tadaaki Kuwayama 'Untitled: red' (1961) acrylic, pigment on canvas (2 panels) 254 x 204.5 cm. Collection of the Takamatsu City Museum of Art. [Right] 'Untitled: black' (1961) acrylic, pigment on canvas (2 panels) 254 x 203.5 cm. Collection of the Kitakyushu Municipal Museum of Art. Exhibition view of “Out of Silence: Tadaaki Kuwayama” 2010, Nagoya City Art Museum. Photo: Sakae Fukuoka.
[Left] Tadaaki Kuwayama 'Untitled: red' (1961) acrylic, pigment on canvas (2 panels) 254 x 204.5 cm. Collection of the Takamatsu City Museum of Art. [Right] 'Untitled: black' (1961) acrylic, pigment on canvas (2 panels) 254 x 203.5 cm. Collection of the Kitakyushu Municipal Museum of Art. Exhibition view of “Out of Silence: Tadaaki Kuwayama” 2010, Nagoya City Art Museum. Photo: Sakae Fukuoka.


F:その時、ミニマリストっていう言葉はなかったですよね?周りの友人の中には、同じようなことをやり始めていた人はいましたか?

K:皆まだそこまでいっていなかった。同じ画廊にジョージ・シーガルやオルデンバーグなんかがいたんだけど、彼らの作品なんかもポップアートというより、まだ「アーティステック」なアートワーク。ジャッドはその頃アーティストではなく、批評家としてグリーンギャラリーに入り浸ってた。彼とはそこで知り合いました。で、後にアーティストとしてそこで展覧会するようになったんです。60年代半ば過ぎだったかな。

F:ジャッドの最初の展覧会はグリーンギャラリーで63年のようです。

K:63年ですか。その頃は、まだよく知られているアルミの作品じゃないですよ。屏風みたいな形状で、赤いカドミウム系の粉みたいなのをべったり塗ったところに弁当箱みたいな四角いのをちょっと置いたり。だから、いわゆる箱、金属の箱みたいなのはずいぶん後。だから、まだ色んな意味で、「アーティステック」なものを引きずっている時代。で、僕の作品もそうなの、あの頃。どっちかっていうと、まだ引きずってるって感じがある。だから、展覧会を一つやって分かったわけ。作品を創ってる時はさ、もう少し、こう、いわゆる「アート」の世界から抜け出す感じのつもりでやっても、まだ引きずってるわけ自分が。そういう環境から出てきてるわけでしょ。僕のアートに関する教育っていうのは、みんな過去のものじゃないですか。未来があったわけじゃないし、だからどうしても過去のものを引きずってるって感じ。当時は日本画の紙をキャンバスの上に貼付けて。だから、材料としては抽象表現的なことはできない、絵具が垂れて流れたり、っていうことになっちゃうわけ。ただ、60年代の自分の作品ってすごい大きいんですよ。あれはアメリカの影響だと思う。当時のバーネット・ニューマンにしろ、ロスコにしろ。そう言う時代なんですよ。ポロックの後のね。すっごい大きい作品なんですよ。観てびっくりしたの。日本では観たことがないから、一面全部真っ赤のものとか。 日本画の材料ってのは。平に塗るとかそういうのに向いてるっていえば向いてるんですよ。

F:その当時、本当にミニマル的な表現っていうと、幾何学抽象をやっている作家達がいたと思いますが、それこそステラとかは同じようなことをやってたんですか?

K:ステラとおんなじですね。だから僕はステラとは今でもよく仲のいい友達みたいな感じ。出が一緒なんですよ。

F:では何となくその時のみんな同世代の作家の問題意識はある程度共有されていたんですか?

K:そうじゃないですか。知らない間に。みんな抽象表現や「アーティスティック」なものからget outしようっていう。そういうのがそろそろ始まった頃だった。だから1回目と2回目の展覧会は違うんですよ。2回目には立体の作品も入って。っていうか立体をフロアに置いていくっていう。木のパネルに紙を貼って真っ黒に色を塗って、それを立ててくっていう。だから、戸板みたいのを。未だに僕が覚えているのは4×8の。4×8っていうのは、4フィートに8フィートのスタンダードなアメリカのサイズの板に細い紙のストリップを貼付けて、それで全体に色を塗って。ただ、テクスチャーもなにもないですよ。ただ真っ黒に色を塗っただけ。62年の時は。

で、60年代半ばは、65年はスプレーペイントを使ったんです。何か平らに、大きなパネルで右と左で色の違うメタリックをつけたりね。塗ったりなんかしないで、日本画の画材をやめてスプレーでやったんですよ。2年目から紙もやめてキャンバスにしてましたし。日本画の材料に限界も感じていたし、オイルでも僕は限界があるんだと思う。どんな材料でも限界はありますよ。だけど、筆で描くっていうよりも、全面をつぶすっていうのはスプレーが向いていました。で、その時の大きな作品が、次の年のグッゲンハイムのシステミックという展覧会に選ばれました。ちなみに、その時はもうクロムを使ってるんですよ。枠と中に。当時一番考えたのは、色ってみんな塗るじゃないですか。すると色々人間によって、今まで言ってた芸術的な、人間の作家がものを創ったいうのあるでしょ?それを否定したかったんですよ。それが最初なんですよ。だから、今まであったあらゆる要素を壊したかった。それと複数同じものを創るとかね。

Tadaaki Kuwayama 'Untitled: brown, blue, gray, purple, beige'(1966) acrylic on canvas with aluminum strips (each 4 panels) 210.8 x 210.8 cm Collection of the Museum of Contemporary Art, Tokyo. Exhibition view of “Out of Silence: Tadaaki Kuwayama” 2010, Nagoya City Art Museum. Photo: Sakae Fukuoka.
Tadaaki Kuwayama 'Untitled: brown, blue, gray, purple, beige'(1966) acrylic on canvas with aluminum strips (each 4 panels) 210.8 x 210.8 cm Collection of the Museum of Contemporary Art, Tokyo. Exhibition view of “Out of Silence: Tadaaki Kuwayama” 2010, Nagoya City Art Museum. Photo: Sakae Fukuoka.

2010年の名古屋市立美術館での自分の回顧展のときに、東京都現代美術館のコレクションの作品(Untitled:brown, blue, gray, purple, beige, 1966)が入っていたんですが、5つの作品で、ひとつひとつ大きいんですけど、十文字に切っているだけで、周りが金属の、で中は筆跡も何もない、つるっとした色面なんですよ。その作品を作った当時はね、アメリカンアートというとグリーンバーグスクールがメインだったわけ。アブストラクションとしては。だからそれとは全然違う。誰でも作れるそういう作品を創ったんですよ、5つ。別に5つじゃなくても、その当時僕が言ったのは、これが10点だろうが20点だろうが、場所があったら創りたいって言うね。で、全部違う色で。色って言うのは、色んな色があるでしょ。色のクオリティってのは、これが良くてこれが良くないって言うことはない。だから、あらゆる色は存在させていいっていうね。だから等価値であるはずだって。だからひどい色も使った。わざと。それでチープアメリカンアパートメントシリーズってことを僕が言って、そういうシリーズの作品って言うのは、アメリカのチープなアパートに行くと、壁にいやらしいようなピンクの色を塗ったり、ペールブルーとか、ベイビーブルー?それからグリーンでも、ひどい色に塗るじゃない?そういういわゆる最悪な感じのするのとアートは同じなんだって。そういうシリーズをやったわけ。同じ形で同じサイズで、色だけ違うっていう。で、あれは誰も認めてくれなかった。

東京都現代美術館がその作品のシリーズを検討していたときに、 キュレーターがこの5つの内で、この色がいいか、あの色がいいかって言いだしたわけ。僕が「そういうつもりで創ったんじゃない。だから5つあるのは、5つセットだと。それじゃないと意味がない。僕のやりたいことっていうのは5つあるから初めて分かるんだって。」そうすると、彼らもその場でね「あ、そうだ!」ってね。だからあれは運良く東京都現代美術館のコレクションに入ったけど。そのとき僕が説明したのは、本当は20点だろうが30点だろうが、これがもっとあったら分かり易いって。5点じゃまだ分かりにくいんじゃないかって。だから、もしその時1点だけだったら、誰が何で作ったのかとか、作家のコンセプトとか誰も分からないと思う。それで後で、どういう順序で掛けるんですかってニューヨークに連絡があったわけ。掛ける時はどの色が最初で最後かって。それで僕が何でも良いんだって、順序はないって。好きなように掛けてくださいって。それで1回1回掛ける時に変わってもかまわないっていう。

たまたまグリーンギャラリーからポップアーティストやそれからミニマルアーティストっていうのが出て、あそこの画廊が次の世代を創ったような感じになったわけです。ディーラーのリチャード・ベラミーも、アーティスト達もみんな同世代で、当時年長でも30ちょっと出たくらいの連中ですよね。ジャッドだって、僕より3つか4つ上かな。そのとき、グリーンギャラリーのオーナーに言われたのは、多分アメリカでは自分はアーティストとして成功できないと思うって。アメリカ人はついて来れないって。多分、日本かヨーロッパどっちかから出てからアメリカ人がやっと分かるようになるってだろうって言われた。というのはね、今からみてみるとミニマルアーティストでも、それから当時のポップアーティストでも、やっぱり「アート」なの、まだ。アートを引きずっているわけ。その伝統的なアートを。それから「アーティステック」っていうの?それからどうしても外れられなかった。じゃないかなと思う。みててそうだもの。僕は自分をミニマルアートなんて思ったことなかったんですよ。事実今でもそう思いますけど。

Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1974) metallic paint on canvas with aluminum strips. 42 x 83 inches. © Tadaaki Kuwayama. Courtesy Gary Snyder Gallery, New York
Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1974) metallic paint on canvas with aluminum strips. 42 x 83 inches. © Tadaaki Kuwayama. Courtesy Gary Snyder Gallery, New York


F:どういうところがミニマルの作家達とは違うと?

K:ミニマルアーティスト達っていうのは、どっちかというとね、もうペインティングはダメって風にね。立体じゃないといけないっていうの?だからだいたいみんな立体なんですよ。僕はそっちの方じゃないなって。だから僕はビジュアルにアートを純粋なものにしたいと思ってましたから。

F:立体じゃなきゃダメって言うのは逆に言うと、タブローの形は絵画を引きずっているということですかね。でも桑山さんは、その形をやりたかった?

K:今考えてみるとその形をやりたかった。その、平らな面だけれども、いわゆる今まであった絵画上の条件ってあるでしょ?そういうものを否定したかった。違う次元のものを創ろうっていう。だから、僕はそのシリーズで創った65年、6年頃のものっていうのは本当に誰にでも作れるものなんですよ。それで、表面がてらてらに光っている作品。当時は表面が光っているというだけで拒否反応を起こした人も多かった。それと、いわゆる当時のペインター達は自分が「作った」ってコトを強調したかったっていうのかな。自分がこれを作ったってとこまで否定されると彼らは困るわけ。

F:当時すでに、立体のミニマルの作家達は自分が創ったっていうのはあまり重要ではなかったのではないですか?

K:うーん、だけどね、彼らは「もの」を作ってたわけ、立体にしろ。それが僕はあの、その点が僕は違ったっていうね。 僕にいわせれば、ひとつの「もの」を作るというのはタブローを描く画家と同じで、結局彫刻家と変わらないと思っていた。

F:桑山さんは「もの」を作っていたのではないと。その当時もし可能であれば別に自分で作る必要はなかったんですか?

K:そうだと思う。それにね、そんなお金もないじゃない?だから例えば、ああいうひとつのシリーズを創る時に今から思えば、本当は無限大に作るべきだったと思う。若い頃は、これは自分のもんだっていうのが一つあれば、もうそれで良いんじゃないかっていう気があった。コンセプチュアルにはこれは無限大なんだという、そのコンセプチュアルな広がりだけでいいと感じていた。今度のね、その感心したっていうか、ダミアン・ハーストが今やってるでしょ?spot painting。あれはもう「アート」じゃない。あそこまでいったらすごいことだと思う、僕は。あれを僕はやりたかったの、60年代に。だから、誰でも出来るような、こういう塗った後のないようなものであって、無限大に出来るっていう。だから、彼はお金があるから、っていうか場所があるからできる。ガゴーシアンっていう場所が。あれを僕は60年代にやりたかったの。そういう作品を創ったわけ。だから嫌う人は嫌ったってわけ、「アート」じゃないって。ダミアン・ハーストの作品観て僕はこういう作家がもっとでてこないといけないって思ったよ。この作品とこの作品どっちがいいって、そんなことないでしょ?同じだよ。丸だろうが四角になろうが、大きくなろうが小さくなろうが。全部同じものなの。だから、価値もないっていうの?そこまでいったっていうのはすごいことだよ。で、彼のやりたいことそれだけが分かるわけ。だからあれは良い作品、良い作品っていうより作家としてすごいと思う、あれをやったっていうのは。でも、あれ嫌だっていう人の方が多いと思う、多分。今まである「アーティステック」な感激がないわけ。

F:でも当時支持してくれるっていう人も結構いたんですよね。桑山さんは特にドイツで評価が高かったと思いますが、ドイツで受けが良かったっていうのは、何か理由があったんですか?

K:ドイツ人ってのはすごく理論的なんですよね、考え方が。どういったら良いかな、ドイツの国自身が戦争でほとんどフラットでしょ?で、一番人間が平和的に復興するのはアートじゃないかなっていう。で、美術館を作って。すごいお金をかけたんですよ。アメリカの当時のポップアートでもミニマルアートにせよ、買ったのはドイツ人だったわけ。ドイツの美術館がほとんどコレクションした。アメリカはとてもついてこられなかった。

F:もうひとつ伺いたかったのは、当時、ミニマリストはみんなアメリカ人ですよね?桑山さんはアメリカでずっとやって、もちろんアメリカの作家としてずっと発表されてきていますけど、日本人であったということはやはり結構ハンデだったんですか?

K:ハンデはありますね。僕いつも思ったのは、当時、名前が違ったら誰もそうは思わなかっただろうって。何とかスミスとかそういう名前だったらね。これは日本の作家だって、でやっぱりオリエンタルの思想じゃないかとか言うよね。それは僕がこの顔をして、この名前では絶対そうだって、ドイツ行ってもそう言われた。日本人、東洋人の思想って言うの?僕はそれをなくしたかったわけ。だから人間として、平等にこの地球上に生まれてるわけでしょ。だからやっぱり生きてるものは感じるものっていうのはあるはずなんだよ。よくあるじゃない、日本人とか、オリエンタルとか、ああいうの我慢出来ないくらい嫌なの。ああいう作品観るの。

F:当時も批評する人達は、桑山さんのことを日本人の作家というレイヤーを通して見ていたんですね?

K:うん。それとね、美術館は当時は外国人の作家なんてのは、購入しないし、掛けなかったんですよ。アメリカ人ってのは自分たちももともとは皆、移民のはずですよね。そのくせ、やっぱり違うと思っている。だからそう言う意味で言えば外国人っていうのが不利な点はありますよね。もちろん、僕自身は人種的差別待遇は感じたことはないですよ。ないんだけれども、言われてみるとそういうこともなくはないんじゃないかと思うこともあります。だから自分では感じたことはない。みんな僕に対して普通に扱ってくれたと思う。

F:名古屋の美術館の学芸員の方が書いた展覧会のエッセイの中で、桑山さんがFlash Artにアーティストステイトメントについて書かれた文章が言及されています。そこで色と形とサイズで作品をある程度定義出来るみたいなことをおっしゃっていたと思うんですけど、もともとそういう風に考えていらっしゃったんですか?(下記桑山さんの文章)

What on artist often gives as a ‘statement’ is no more than the description of the process of how this work is made and on explanation of the materials used. Words about the work become unnecessary. Looking at the work gives a clearer explanation than words.
Let me illustrate how I do it. First, color, shape and size must be clearly determined and this will be the start (to create my work). My main materials are chrome, acrylic paint, canvas, and wooden strips. Generally, my works consist of two or more panels joined with chrome strips between them (so for, os many os twelve poles). Chrome strips of the same thickness frame the pointing. Each ponel is pointed with acrylic point, with a wide nod soft brush or with a spray gun 20-30 times until the surface becomes even with no distorted shade or brush marks. Only when i wish to cover the surface with metallic color a spray gun will be used. Masking topes cover the fringe of each panel, keeping on accurate width at 5 mm-7 mm in the border, depending on the size of the work. This preparatory work enables me to paint the predetermined width of color(s) with utmost accuracy. The masking tapes will be removed after painting.
Upon completion of the painting each panel is varnished with acrylic varnish until such time that the whole surface becomes a really glittering gloss. It will be done 20-30 times repeatedly. I will wait for two weeks to one month until the whole surface dries completely, then the chrome strips will be joined to the panels and bolted firmly. That is the finish of the work. Absolutely no title is given to the work. but always “untitled.” The only thing scribbled on its back will be the year and my name and color combination such os “Green-White-Green“ is also jolted clown. But for my own memo.
(Tadaaki Kuwayama. On My Way. Art Now: New York No.2, 1970, reprinted in Flash Art. June 1973)


K:僕が言いたかったのは、僕がアートはどういうものであるかとか言っても意味がなくて、作家が言えることはどういう風に作るかしかないんじゃないかって。あとは実際に観ないと文章では感じるものではないと言いたかった。だからいかにして、僕がどういう順序で作品を創るかということを書いた。それともうひとつは例えば、絵を描く人っていうのはキャンバス持って来て描きながら途中で描いたり消したりしながら創っていくでしょ。それが絵だと思う。でも、僕はやる前に自分がしたいことを決めないといけないと思っていた。作家が知らないでものを創るっていうのは間違ってる。完全に何がしたいっていうのを知ってから、創るべきだと思っていたわけです。だから当時の作品は途中で手が加えられないものばっかりですよ。やる前に全部分かってないと出来ない。それがしたかった。ペインティングの時代は終わったと思っていた。ペインティング的な要素は一切もっていないもの、違う次元のものを創りたかった。それがアートだと思っている人には絶対に分からんだろうというものを創りたかった。で、未だにそうなの。未だにアートシーンのメイン的なものは、やっぱり彫刻であって絵なの。世の中そんなに変わってない。

Installation view of the exhibition, 'Project for Kawamura Memorial Museum of Art' (1996) metallic paint on Bakelite mounted to plywood. 136 works (composed of 272 jointed panels) 240 x 18 cm each. Courtesy Kawamura Memorial DIC Museum of Art.
Installation view of the exhibition, 'Project for Kawamura Memorial Museum of Art' (1996) metallic paint on Bakelite mounted to plywood. 136 works (composed of 272 jointed panels) 240 x 18 cm each. Courtesy Kawamura Memorial DIC Museum of Art.


F:何かサイズを決める時に、日本とアメリカってサイズが違いますね。センチとかインチとか、畳の単位とか。そういう違いを意識されたことはありますか?

K:日本画っていうのは尺でいったわけ。インチに近いわけで、だからそんなに不自由しないし、センチよりもそっちの方がピンときてたし。今、センチで困るんですよ。アートというのは人間と建物に対するサイズですよね。だからそれだって、そこに縛られないサイズってあるはずなんだよ。無限大にいこうとか。川村の時は、あの部屋全体で136本あったんですよね。(Project for Kawamura Memorial Museum of Art: metallic yellow and metallic pink, 1996)あの作品っていうのは絵とか彫刻の世界じゃなくて、空間の世界ですよね。この作品の長さは8フィートなんですよね。8フィートっていうのは、アメリカの材料からくるサイズです。建築になると11、14とか16とかそういうの決まってるんですよ。スタンダードは4×8っていう。日本は3×6ですよね。紙が3×6で出来てるんですよ、だいたい。8フィートっていうのは人間よりちょっと高いから、どうしても上を見る時にちょっと見上げるっていうね。一番見やすいサイズじゃないですか。下から上まで見るなら。サイズとしては8がスタンダードのサイズじゃないかなと思ってます。あとは色については川村美術館でやった時は、あの、黄色とピンクだったんですよ。僕のセオリーからいったら本当は何色でも良いんですよ。いつもそう思う。色の価値っていうのは同価値であるべきだと思う。全てが、存在としてという意味では。

Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1992/2012) metallic paint on Bakelite mounted to aluminum, 8 elements, each 23 5/8 x 23 5/8 x 2 3/8 inches. © Tadaaki Kuwayama, courtesy Gary Snyder Gallery, New York
Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1992/2012) metallic paint on Bakelite mounted to aluminum, 8 elements, each 23 5/8 x 23 5/8 x 2 3/8 inches. © Tadaaki Kuwayama, courtesy Gary Snyder Gallery, New York


F:キャリアの途中で通常の色から、金属系の反射する色が多くなりましたが?

K:中間色っておかしいけど、その色そのものが主張しない色っていうのがあるでしょ、キャラクターがない色っていうの?僕はメタリックの薄いのがそうじゃないかなって思うんですよ。だけど、別にこだわってるわけじゃないんですよ。色には。

F:そのメタリックの色を使い始めたことで、今やっていらっしゃるアルミとかチタンに移行された。つまり、色として金属系のものを使っているうちに、その素材そのものに移行されたんですか?

K:というよりね、まだ無限大にあるんですよ、世の中に色っていうのは。だから順番にどれをしようがぼくはそんなこと関係ないと思う。でやっぱりそのそれぞれのキャラクターっていうのをもっているの、色っていうのは、あの材料っていうのは。だからこれだけがすごいっていうのはないだろうし。ただ、観た時にね、何かこう、どう言ったら良いかな、自分でそれを勝手に処理出来ないっていう感じを与えたいの。例えば、作品に一つスクラッチがあると、人間っていうのはどうしてもそこに目がいきますよね。その時点ですでにバランスが崩れているんです。今まであった空間を感じない。だからそれは絶対に避けたいんです。観た時にね、背中が寒くなるそう言う感じまでもっていかないと僕はダメだと思う。取っ付きようがないっていうの?ここは「アート」と違う世界だっていうのを感じさせたいっていう。いわゆる僕の言うアートっていうのは、今までのアートじゃなくて、違う次元のものだっていう。でも感じなきゃいけないと思う、それを。感じさせないと。

F:今の展覧会の奥の部屋に透明な作品(Untitled (1996/2012) Colored pencil on Mylar mounted to glass six elements)ありますね。透明な素材は、よく使われるんですか?

K:あれはね、だいぶ前の作品なんですよ。あれも色んなことをガラス屋かなんかに聞いたりなんかして、いっそのことサンドブラストで磨りガラスにして線だけ残すとか、でもそうなると今度はクラフティを感じちゃうんですよね、ああいうものはどうしても。あれが僕の精一杯のところなんですよ。クラフティを感じさせないように、それで色鉛筆の線だけで。

Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (2012) anodized titanium, 8 elements, each 11 3/4 x 23 5/8 x 5/16 inches. © Tadaaki Kuwayama, courtesy Gary Snyder Gallery, New York
Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (2012) anodized titanium, 8 elements, each 11 3/4 x 23 5/8 x 5/16 inches. © Tadaaki Kuwayama, courtesy Gary Snyder Gallery, New York

F:今回初めてチタンを使われた(Untitled (2012) Anodized titanium eight elements, each 11 3/4 x 23 5/8 x 5/16 inches)そうですが、チタンはアルミと比べてどう違いますか?

K:素材が全く違いますね。扱いにくい。ですが、チタンていうのは色がパーマネントなんですよね。っていうのは外に出そうが、太陽にあてようが色が変わらないんです。だけど、アルミは変わるんですよ。太陽光線に弱い。それと、光線に対して、アングル、角度、距離によって色が変わって見えるでしょ?あれは本当は全部ピンクなんですよ。だけど光線よってグリーンに見えたりしますよね。その色を引き出すのが、電気と酸なんですけど。水の中に電流を流して、そこにチタンを入れると色が1秒ごとに変わっていくんですよ。どんどん色が変わっていくわけ。それも徐々に変わっていくんじゃないんですよ。赤いのから急にばーっとブルーになったり。もうめちゃくちゃに変わっていくわけ。で、そのひとつの時間を決めて、タイマーで。どれが良いかっていう。まぁどれでも同じなんですよね、本当は。と、僕その時も思った。アルミっていうのは顔料がいるわけ、色を染めるのに。これアダマイト加工ですよね。中は白いです。で、チタンでもそうですよ。あれ、薄い表面だけなんですよ。ところが、あれは色なんにもいらないんですよ。チタンそのままでの。だから、色が変わったそういう、時間で変わった色なんですよね。だから表面がどんどん、どんどん変わっていくっていうの。

Tadaaki Kuwayama 'Plan for Gallery 11 (Yellow and Orange)' (2011) Collection of 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa. Exhibition view of “Untitled: Tadaaki Kuwayama” 2011, 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa. Photo: Osamu Watanabe</p><p class=

Tadaaki Kuwayama 'Plan for Gallery 11 (Yellow and Orange)' (2011) Collection of 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa. Exhibition view of “Untitled: Tadaaki Kuwayama” 2011, 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa. Photo: Osamu Watanabe
Courtesy: 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa


21世紀美術館でみせた地面に置く丸い作品((Yellow and Orange) 2011 anodized aluminum 23.5 x φ31.5 cm each, 16 pieces)も本当はチタンで作りたかったの。だけど技術的にどうしてもできないって、結局アルミにしたんですよ。加工が大変なんですよ。固くて曲げるのが大変。あれ一枚の板で曲げてるんですよ、アルミの方は。チタンはこの作品の縦のアングルがきつくなるとできない。直角にはもうならない。チタンでつくろうとすると平たい作品になってしまうんです。僕はね、あんまり平たくしたくないわけ。最初は筒を作ったんですよ、ちょっとアングルがあることによって、重量感が出てくるんです。筒型は何かいかにもジオメトリックな形を感じちゃって嫌だったんですよ。ちょっとアングルを付けた時に、何か世の中にない形だと感じたわけ。ほんのちょっとだけアングルがあるっていうね。

F:アルミ、チタン、それ以外の金属は考えられてるんですか?

K:実験的に鉄でやったことがあるんですが、鉄はやっぱり彫刻みたいな感じになっちゃうんですよね。塊っていうのかな。彫刻的な。チタンの方がちょっと感じが違って気に入ってます。普通じゃなっていうの?チタンとアルミは面白いんじゃないかな。8フィートの長い作品もチタンで出来るかと聞いたんですよ。でもこれだけの長さがあったらもう出来ないって。無理だって言うの、色がまんべんなく行くのは。長いと上げるのに時間がかかるでしょ。多分、その間に色が変わっていっちゃうっていうね。最初から色がいろいろあるのはやりたくないし、アングルで色が変わるのがいいなと思う。

F:色、サイズ、形の組み合わせは無限大にありますが、毎回作品を決める時の基準はありますか?

K:その組み合わせを決めるのに実験的には色んなことをしてます。僕の仕事っていうのは図面を描くことなんですよ。自分で制作出来ないですし。それと材料に対する経験ですね。

Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1992/2012) anodized aluminum, 22 elements, each 8 x 8 x 2 1/4 inches. © Tadaaki Kuwayama, courtesy Gary Snyder Gallery, New York
Tadaaki Kuwayama 'Untitled' (1992/2012) anodized aluminum, 22 elements, each 8 x 8 x 2 1/4 inches. © Tadaaki Kuwayama, courtesy Gary Snyder Gallery, New York


F:今回の展覧会で、赤のアルミの22個の作品(Untitled (1992/2012) Anodized aluminum 22 elements, each 8 x 8 x 2 1/4 inches)がありますが。例えばあれが買われた場合、それがどういうところで展示されるかというのはコントロールしたいですか?

K:したいんですよね。だけれどもできないことの方が多い。何年か経った時に、僕はもちろんいなくなる。100年経ったら何にも残ってないですよ、証拠は。そういうものだと思う。だから僕は紙をいっぱい残してるんですよ。どういう風にインストールするかについて。それが僕の仕事だっていうね。で、こういうものって買う人いなかったんですよ。それが、今になって、最近状況が変わってきました。アルミとかベークライトはじめて20年かかってるんです。

F:その見る側の変化っていうのは感じますか?

K:うん、最近、感じますね。

F:やっとみんなが分かってきたっていう様な感覚ですかね?

K:みんながっていうより、玄人はダメなの。いわゆる教育がある美術史専門家とかああいう連中はダメです。例えば、川村美術館での展示は僕がこのシリーズをやった最初なんです。完成するまでどういう風になるか僕だって知らない。色と材料とサイズを指定して工場で全部作らせて。計算して予測はできるけれども、視覚的には確認できないわけ。絶対掛かった時の様子なんか何にも分からなかった。見たこともないから。工場から運んできて、行って、全部掛けた時に、ああこういう風になるのかという。最初のオープニングの日に、専門家ではなくて普通の人がたくさん来て、初めてあの部屋に入った時に、「あっ」ってみんな声がしたの。この部屋は何だろうっていうことになるでしょ。近くに寄って観たいじゃないですか。で、寄るとあれはメタリックですから色が変わっていくわけ。それとピンクとイエローが補色でメタリックっていうと全体がぼぁっとして、不思議な空間に入っちゃうわけ、最初から。そういうものに最初に「あっ」って感動してくれたのは素人ですよ。素直なんですよ。ビジュアルに感動する。アートヒストリー専門の人は、過去の歴史の何にあたるかっていう見方をするじゃないですか?それだとついてこられないわけ。どういう意味があるかとか、何が描いてあるかとか。

F:最後の質問なんですけど、お話の中に過去、現在、未来っていうようなことを話されていますが、一見桑山さんの作品は静止した作品に見えます。時間をどういう風に捉えられていますか?

K:存在感ですよね。続くんじゃないですか?続かせないといけない。例えば、今作って、5年後に観られないようなものを作っても意味がない。それほどのものじゃなかったていう。美的な価値観っていうのは変わるはずですよね?世の中の美しさっていうのは、どんどん変わっていくだろうし。まぁ人工的な美しさもあるし。風景だけが、昔はそうですよね、風景ですよね。それから昔は物語の為の、記録ですよね。肖像画にしろ。だから、そういうものと性格が全然違うんですよ、今は。アートだけで存在させるっていう。そうなると続くものは続く。だから未来を感じないものは創ってもしょうがないっていう。と言うより、現実に考えてみると、人間っていうのは今だけじゃ生きていけない、未来があるから生きていける。みんな明日があるって知ってるから生きていける。アートだってそうだと思う。今だけのものを作ったって意味ないと思う。美しいという言葉がもうおかしいよね。昔は美しいっていう言葉で済んじゃったけど、今は美しいだけじゃないと思う。醜悪なものだって美しさがあるっていう時代でしょ。だから、いわゆる芸術として存在させるっていうの。それだけじゃないかなと思う。他の要素はいらないと思う。昔も今も視覚的に感動するようなモノ、やっぱり今のを観ても未来を感じるっていうの。未来があるから今だっていうのを感じるんじゃないかなって。それが現在に視覚的に芸術として存在する美しさ、美しさっていうより価値観みたいなものだね。

あといつ作ったていうのあるでしょ?僕はサインも年代もいらないんじゃないかなと前から思っているわけ。作品になんで、サイズとか年代、サインがいるのか。あれはコマーシャル的な意味で必要ってだけで。だからいつ作ったかって言われるのが一番困る。掛ける時に条件が違って初めて、ひとつの作品になるんです。例えば92年に作ったある作品を今ここに掛けることで作品になるんです。それから昔の絵の時代があるでしょ?あれだって、今だってできるものだっていうの。そういう作品なんですよ。今でもできるっていう。ただ、それよりも今作っている方が面白いっていうね。次の材料に行くだけで。誰かがもし頼んだら、僕は過去にやったのを今でも作る気があるわけ。今でも出来る、誰でも出来るそういうテクニックなんですよ。

F:最近ガゴーシアンのチェンバレンの展覧会は、以前の全部彼の手で作っていたのとは違って、工場で作らせたっていうことで大きな変化と言われました。彼の場合はキャリアの途中で誰がどのように作るかは問題ではないという意識になったと思うんですが、桑山さんは初めからそうだったんですか?

K:初めからそうだった。それをすることによって「アート」から抜け出すっていうの。次の次元の違う世界に入るっていう。で、一旦その世界に入ると後ろに戻れない。ただ、その感覚はまだ61年の時にはなかった。当時まだ僕は絵ですよ。ただ、アクションペインティングっていうのじゃないことは事実なんです。でも、意識でいうと、今ほどクリアではなかった。過渡期ですよ。やって初めて知っていくっていう。だから思うに、作家っていうのは自分の作品をみせた時に一番感じるんじゃないかなって。皆、自分のために作ってるんじゃないですか?僕は自分の為に創っている。でも観客がいないと成り立たないっていうのもありますよね。

Tadaaki Kuwayama 'Plan For Courtyard (Gold and Silver)' (2011) Exhibition view of “Untitled: Tadaaki Kuwayama” 2011, 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa. Courtesy: 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa
Tadaaki Kuwayama 'Plan For Courtyard (Gold and Silver)' (2011) Exhibition view of “Untitled: Tadaaki Kuwayama” 2011, 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa. Courtesy: 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa


F:ところで、桑山さんは作品を大きくしたいっていう欲求みたいなのはありますか?多くのアーティストは外にでパブリックアートやるといきなり他の作品まで大きくなったりしますが。多分それって自然の欲求なのかなと思うんですが。

K:うーん、どうかな。その環境になってみないと分からないけど、案外、あっ面白いってやるかもわからないよね。また違うものができるっていう。今ひとつ屋外でやってるんですよ。あの、金沢の中庭に展示した作品((Gold and Silver) 2011 anodized aluminum 265 x 20 x 1 cm each, 24 pieces)をニューヨークのコレクターが欲しいということで、ニューヨークに全部持ってきて、エンジニア、建築家を雇って、どういう風に外に建てるかって、やってるんですよ。ああいう中庭みたいのじゃなくて外に。ランドスケープアーキテクトを今雇って。場所を作らないといけないんですよ。地面にコンクリートを入れて。風吹くと外の場合、砂が舞って傷がつくんですよ。そんなこと考えもしなかった。だったら、もうまわりに建物を造ろうかって言ったら、そこまではダメだっていわれて。ガラスの箱を創って。それはダメって。あれはもともとそういうことを考えていたんですよ。ガラスの箱の中に入れるって。

いつも思うのは、美術館で展覧会をするでしょ?そうすると全ては僕の責任なんですよね。でも、いつもこういう材料は使っちゃいけないだの、したいことを完全にさせてもらったことはない。それがすごい腹が立つこと。美術館は特にそうなの。あの、名古屋の時なんて、運賃に金がかかるから米国からもってきちゃいかんって言うの。日本の美術館にあるコレクションでやって欲しいって。完全に自分で本当にしたいことが、どこまで出来るのかっていうの。だから、本当は予算なんて関係なく好きにやってくれっていうなら、いいですよね。次は今年の秋に神奈川の葉山の美術館で個展があるんですが、予算も限られていて、制約は多いですが、したいことがどこまでできるか。

Tadaaki Kuwayama in his studio in Chelsea NY. Photo: Takayuki Fujii
Tadaaki Kuwayama in his studio in Chelsea NY. Photo: Takayuki Fujii


聞き手: 藤高 晃右
文字おこし: 藤井 孝行






Comments

Popular posts from this blog

アートマネージメントよりアートアントレプレナーを!

About Kosuke Fujitaka